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和の文化

今日は新嘗祭 ご存知ですか。

  11月23日は勤労感謝の日ですな。 「国民の祝日に関する法律」によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日とされています。 成人の日、体育の日、海の日、敬老の日はハッピーマンデーで月曜日に移動することがありますが、勤労感謝の日が移動することは決してありません。 それはなぜか? 11月23日(本来は11月下卯の夜)という日付は、暦の上で最上級に大事な日だからです。戦前も11月23日は祭日でした。 この日、天皇がその年の新米を天上地上すべての神(天神地祇・てんじんちぎ)に捧げ、自らも食べる新嘗祭(にいなめさい)が行われるのです。 もちろん現在...

築120年の旧家 彦根

  築120年の旧家。   その昔、近江、彦根で生糸産業を立上げ時代を築かれる。   いつまでも残しておきたい家屋。   きっと日本中にこのような旧家がたくさんあるのでしょうね。   壊してしまえばそこで歴史は終わり。   残さなければならないものがたくさんある気がする。   道路一本やめて、国が守っていかなければ。   今こそ何が大切なのか、何が必要なのか。     ...

和歌の家元 冷泉家

  冷泉家は、あの藤原道長の子、長家を遠祖とし「御子左家(みこひだりけ)」と呼ばれる家系です。 俊成、定家という天才を経て定家の孫・為相が冷泉家の家祖となりました。 一言でいうと、「和歌の家元」で、和歌の伝統を守り伝え、教える相手が将軍や皇族ということもありました。 その蔵に保存されてきたのは国宝5件、重文は50件近く、何らかの指定を受けた文化財は1千以上・・・という奇跡のような家なのです。 小倉百人一首にも登場するのでなじみがあるかもしれないが、日本の文学史上、特に和歌において、この2人の天才は燦然と輝くスターでした。 その俊成の生誕900年を記念した展示が来月1日...

蹴鞠をご存知ですか。

先日、霞会館で「伝統文化の日」という催しがありました。 皇族、公家に伝わる伝統文化が幾つか紹介され、とっても学びが多かったです。 その中の一つに蹴鞠があり鞠や装束が展示されてました。 蹴鞠は今から約2300年以上も前、中国の春秋戦国時代の斉(せい)の国の都で行われていたことが、約1200年前に前漢の司馬遷によって著された史記の中の蘇秦列伝に記載されています。史記には蹴鞠と書かれていますが、実際には現在のサッカーのようなものではなかったかと言われています。 その後、日本へは約1400年ほど前、仏教などと共に伝来したと伝えられています。 本家の中国では蹴鞠は衰退したようですが、我が国では独自の...

Sushi

  From the 700s to the present day, learn a little about the interesting history about one of Japan's greatest culinary exports, ‪#‎sushi‬, for today's. (Sentence:https://www.facebook.com/JICC.JapanEmbDC) It’s tough to imagine, but there was a time when most of the world turned up its nose...

薬師如来経典一万文字

  毎月一回、伊勢に書を習いに行ってます。 書の先生は、柏木白光先生。 教え上手で、自分で言うのもなんですが、毎回上手になっていると思います・・・楽しいですよ! さて、白光先生、薬師如来経典一万文字の制作にあたっていらっしゃいます。 一万文字? 一文字4cm角 どうやって書いてるのですか? こうやって書いてらっしゃるのですね。 とっても疲れるでしょうね。   11月3日が落慶法要。 連休もなく制作されてるのでしょうね。     ...

「大祓詞(おおはらえことば)」を知るⅡ

  先日、丹生都姫神社の宮司さまによる神社を知る講座に参加しました。 そのお話が「大祓詞」を知り・唱え・書く、でした。 みなさまは「大祓詞」をご存知ですか。   はじめに 仏教の精神を知るには、まずはじめに「般若心経」を読んだらよいと、よく言われます。 神道には、このようなものがないのかとよく質問を受けます。 神道は、いわゆる教義・経典の存在する宗教ではないので、このようなものはありません。 しかし、古代から唱えられてきた「大祓詞」の中にその精神が伝えられています。   昨日の続きです。 四、「大祓詞」は、個人の祓いでもあり、みんなの祓...

「大祓詞(おおはらえことば)」を知るⅠ

  先日、丹生都姫神社の宮司さまによる神社を知る講座に参加しました。 そのお話が「大祓詞」を知り・唱え・書く、でした。 みなさまは「大祓詞」をご存知ですか。   はじめに 仏教の精神を知るには、まずはじめに「般若心経」を読んだらよいと、よく言われます。 神道には、このようなものがないのかとよく質問を受けます。 神道は、いわゆる教義・経典の存在する宗教ではないので、このようなものはありません。 しかし、古代から唱えられてきた「大祓詞」の中にその精神が伝えられています。   一、「大祓式」の起源 当社も含めて、全国の神社で六月と十二月の末日...

頭は猿、胴は狸、手足は虎、尻尾は蛇という鵺(ぬえ) ご存知ですか。

    「平家物語」によると、平安時代末期の近衛帝の時代(1142~55)、毎夜、御所に「鵺」という怪鳥が出没して不気味な声を発して天皇を悩ませました。 弓の名手として知られた源三位頼政は、勅命によってこの鵺退治を命じられます。 頼政は神明神社に参籠して退治の成功を祈願し、見事この怪物を退治することが出来ました。 頼政が射落とした怪鳥は、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尻尾は蛇という姿だったと伝わります。 頼政は神明神社の御加護に感謝してこの時に使った二本の「鏃(やじり)」を奉納したということで、以来、神明神社は厄除け、火除けの神と言われるようになったということで...

なぜ白装束が「黒」に変わったのか

    現代人にとって正礼装の喪服といえば、やはり黒装束が常識的です。 男女問わず、親族も弔問者も、すべて黒ずくめの服装をしているので、一見しただけで葬式であることがわかる。 伝統的な無垢の白装束は、宮司・禰宜などの神官や一部の仏教宗派に残るが、およそ死者を見送る葬祭儀礼に関しては、和服と洋服を問わずに”黒染の喪服”とするのが、今ではひろく一般的です。 それでは、一体、いつ頃から黒の喪服が定着したのだろうか。 これは、明治維新政府による欧化政策のひとつとして、西洋の葬祭儀礼にならってひろめられたことを契機としています。 長き江戸幕府の時代に終わりを告げ、鎖...

古来、日本の喪服は白かった

  基本的に日本人は、仏教伝来以前から、いわゆる性善説に近い思想を持っていました。 自己の魂を本来的に汚れの無い清廉な存在と認める古代人たちは、もともとそれを白無垢の衣裳で表現してきたのでした。 神道でも神様を祀るときや、あらたまった儀礼では白装束を身にまといます。 実際「日本書紀」をはじめとする古代の文献には、喪服ははっきりと白であったという記録が残っています。 それが平安時代になると、養老二年(718)発令の養老律令において、「天皇は直系二親等以上の喪の際には、墨染の色を着用すること」という喪葬令が定められました。 これが契機となって一時的に黒の喪服がひろまり、平...

女人舞楽 原笙会(にょにんのぶがく はらしょかい)

    みなさん、舞楽を女性のみなさんが舞っているのをご存知でしたか。 一般の人には男の人の芸能、儀式の中で舞われる芸能と思い込まれていました。 けれども実は、千年ほど前までは宮中に内教房という部署があり、女性も盛んに舞楽を舞っていたのです。     そして今は、兵庫県の芦屋市に女性ばかりの会「女人舞楽 原笙会」が活動を続けています。 前会長原笙子が、昭和30年代元宮内庁楽師に基本からの指導を受け、世界に通用するレベルの舞楽が習えます。 また、十二単を着て舞う「五節舞(ごせちのまい)」、静御前...

日本の伝統文様  霰(あられ)

  霰文は江戸小紋によくある文様です。 降りかかるのは雨か雪か霰かという、霰をも図案にしています。 霰は雨まじりで重い音がする感じですが、霰は粒の大小はあっても飛びはねるような勢いがあるもの。 丸く不規則な点々を自由に描いてできた図案にこの名をつけたのでしょうか。 小紋染の霰文はなかなかモダンな文様だと思います。 武士の裃に使われていたというのに、現代の若い人が、江戸小紋の「黒字に霰」を、これなら着てみたいといいます。 時代が変わっても命の長い文様のひとつです。 地色を変えるとドレスにも使えます。 洋服地の水玉というのは、江戸小紋と違ってその円形が同じ大きさ...
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