和の徒然 | 和の素敵 - Part 71
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和の徒然

長唄ってどんな歌?

  長唄ってどんな歌?   先日、素敵な長唄「二人椀久」を聞かせていただきながら、長唄って何?って。学ばなければ。wikipediaによると、近世邦楽の一ジャンルで三味線音楽の一ジャンル。江戸の音曲の一つであり、正式名称は江戸長唄(えど ながうた)というそうです。またこれとは別に、地歌の一分類として上方長歌(かみがた ながうた)があるとのこと。江戸長唄は義太夫節など語りを中心とした「語り物」とは異なり、唄を中心とした「歌い物」、「うたもの」。演奏は基本的に複数人の唄と三味線で成り立っており、曲目によっては小鼓、大鼓、太鼓、笛などで構成される「お囃子」が付くこともあ...

長唄「二人椀久(ににんわんきゅう)」素敵でした。

  長唄「二人椀久(ににんわんきゅう)」素敵でした。(写真:私の三味線の師匠 今藤和歌美さん)昨日、私の三味線の師匠と日本の文化に親しむ「ことぶき花舞台」をご一緒させていただきました。三部で片岡愛之助さんや中村壱太郎さんが演じられるので、国立文楽劇場は大満員。宮川町の芸子さんたちも二部でお囃子をされるので、舞妓さんや着物姿も大勢。いいことですね。さて、二部の長唄「二人椀久」がとても素敵でした。唄方の今藤美佐藤さん、芳村伊四絽さんもお上手、そして三味線方の今藤美佐緒さん、今藤珠美さんが素晴らしい。長唄の伝存曲の中で最も古い曲の一つであり、長唄の歴史の中で演奏が難曲中の難曲...

藤十郎さんが「曽根崎心中」演じ治め!

  藤十郎さんが「曽根崎心中」演じ治め!・・・さびしい!!  歌舞伎の人間国宝「坂田藤十郎(82)」さんが、代名詞ともいえる上方歌舞伎「曽根崎心中」のヒロインお初を、4月の東京・歌舞伎座の公演で”引退”すろと発表されました。昭和28年から60年余りにわたり、ほぼ一人で演じてきた当たり役は、演じ治めとなる4月26日の千秋楽で通算1351回。惜しまれながら歌舞伎座新築開場1周年の晴れ舞台で区切りを打つことになりました。お初と徳兵衛の悲恋を描いた「曽根崎心中」は近松門左衛門の心中物の代表作ですが、江戸時代以来、長く上演が途絶えてきました。でも、昭和28年8月、東京...

私の大好きな白洲正子さん。

  私の大好きな白洲正子さん。  自分に似合うきものがあるように、きものに似合う帯もあります。一つのきものに、一つの帯というのが理想ですが、そこまで凝る必要はないかも知れません。でも、買う時には一応考えてアンサムブルという感じにして頂きたい。ーーお断りしておきますが、アンサムブルとは、「お揃い」の意味ではなく、「全体」とか「調和」ということです。これはむづかしいことではなく、馴れれば習慣になってしまいます。くれぐれも、年齢より自分に似合うということ、全体の調和を考えること、きものの上手な買い方といって、それ以外にはありませんね。ーーー白洲正子「きもの美」より...

着物一反に何匹の蚕の命が必要かご存知ですか。

  着物一反に何匹の蚕の命が必要かご存知ですか。平均的には約2800匹ぶんの繭玉が必要といわれています。原種に近い「小石丸」や「松岡姫」「又昔」という品種ですと3000匹以上でしょうか。多いと思われますか?少ないと思われますか?約2800匹の蚕のお食事、桑の葉は100kg必要です。だいたい女性4人分の重み・・・・。繭の出来不出来によっても違いますが、一つの繭から取れる糸の長さは1200メートルぐらいだそうです。一反は縦糸約3800本、横糸は、なんと45000回通すのです。「あなたのお命頂戴して大切に織らせていただきます・・・」職人さんはそんな思いで織るそうです。めちゃく...

山村若女さん(山村流地唄舞)

山村流地唄舞 山村若女さん江戸時代に上方の町人が武家文化の影響を受けて作り上げられたのが地唄舞です。 着流しに、屏風を立てた座敷で舞う素踊りを基本としています。 源流となった御殿舞と、能を基本にした静的な舞に、人形浄瑠璃や歌舞伎の要素を加味しており、しっとりとした内面的な舞い方をします。    山村若女さんのご紹介...

「地唄舞」とっても素敵なんです。

  「地唄舞」とっても素敵なんです。昨日、始めて地唄舞を見てきました。山村若女さんの「第十回 なら 玉響(たまゆら)の会」にお誘いいただき、奈良能楽ホールに行ってきました。地唄舞、ご存知ですか?地唄舞とは上方舞(かみがたまい)ともいい、江戸時代中期(1800年頃)から末期にかけて上方で発生した日本舞踊のひとつです。着流しに、屏風を立てた座敷で舞う素踊りを基本としています。源流となった御殿舞と、能を基本にした静的な舞に、人形浄瑠璃や歌舞伎の要素を加味しており、しっとりとした内面的な舞い方をします。歌舞伎舞踊より抽象的で単純化された動きでもあり、伴奏に地唄が用いられることか...

「父は家元」見に行きたいです。

  「父は家元」見に行きたいです。 430年の伝統を受け継ぐ遠州茶道宗家の13世家元小堀宗実の活動に密着取材した長編ドキュメンタリー映画。明日から順次全国公演です。 先ずは、「父は家元」の紹介サイトをご覧ください。素敵な言葉がいっぱいで、それだけでも楽しいです。http://chichihaiemoto.com/その中の一つ、「茶道は日本人の美意識が詰まった宇宙だ!」日本文化の神髄を知る。一般にあまり知られていないが「茶道」は総合芸術と呼ばれています。建築・庭・工芸・書画・茶花さらには所作や銅鑼の音にいたるまで、すべてをまとめた芸術表現だからです。味覚・触覚・臭覚・視覚・聴...

利休は偉大な経営者でもあった!

  利休は偉大な経営者でもあった!当たり前のことを当たり前に行うことが一番難しいですね。経営学の父とわれるピーター・ドラッカーが起業の目的は「顧客の創造」であるといい、その中核の機能は「マーケティング」と「イノベーション」の二つだといっています。利休の言葉とされる、もっとも有名な茶訓「利休七則」のドラッカーとの共通点を見てみましょう。1.「茶は服のよきように点て」相手が飲みやすいお茶をたてなさい、ということ。茶の湯にはお茶は何杯、温度は何度と言ったマニュアルはありません。相手が欲しているものを察知する能力が求められます。2.「炭は湯の沸くように置き」茶人の仕事で、もっと...

古都の冬 あられ酒、神酒に舞う

  古都の冬 あられ酒、神酒に舞う赤い杯に注がれた酒に、真っ白な麹がひらひらと舞う。冬の光景を切り取ったような幻想的な姿。“清酒発祥の地”とされる酒どころ・奈良に古くから伝わる「あられ酒」は、冬の風情にあふれています。かつて、あられ酒は奈良を代表する酒だした。その起源は、一説では孝謙天皇が春日大社を詣でた際、急にあられが降りだし、神酒の器に入り、舞う様子を気に入ったことからその名が生まれました。または江戸時代初期、漢方医の絲屋宗仙が池にあられが降り沈む風情を酒で再現したともいわれています。「アラレ酒」として記された室町時代の文献も残っています。起源に諸説あれど、この季節...

さて、今日は茶道の歴史

さて、今日は茶道の歴史茶道の歴史は約800年。 縄文~奈良時代には、お茶自体はもう飲まれていたみたいです。鎌倉時代、禅宗を学びに中国へ渡っていた僧侶栄西が、禅宗とともに、抹茶を飲む習慣(喫茶文化)を持ち帰ってきたのが始まりとされてます。各地でお茶の栽培が広がり、鎌倉~室町時代にかけて、武士の娯楽のひとつに「闘茶」という遊びが流行しました。お茶の産地当て比べというところです。でも、闘茶は賭博性を帯びてきて、後に禁止令が出ました。この頃に「茶会」という言葉も生まれました。ちなみにこの頃、京都・東寺南大門の門前で、茶売人がお茶をたてて...

千利休 謎多き総合芸術家

  千利休 謎多き総合芸術家 千利休、現代なら総合美術プロデューサー。安土桃山時代の茶人、現代に至る茶道を大成し、織田信長や豊臣秀吉の茶頭を務めて天下一の宗匠と呼ばれました。井上靖をはじめ、そうそうたる作家らがその生涯を描き、何度も映画化されたのも、その業績と、秀吉の命による切腹という悲劇的な最期、周囲を彩る豪華な戦国武将たち・・・という要素があるからでしょう。利休の50~60代にあたる天正年間は、8世紀末ころに中国から入り中世をかけて進化してきた茶の湯が、利休という芸術家によって「茶道」に完成された時代と言えます。実際に利休が考案したものは数多くあります。茶室にいたる露地、...

千利休

  昨日、随竹庵の初釜にお招きいただきました。初めてのことで知らないことばかり、たくさん学ばなければ。  昨年末には映画「利休にたずねよ」が公開され、今年はお茶が楽しみですね。茶道といえばやっぱり「千利休」千利休(幼名、与四朗)は大永2(1522)年、泉州の堺で生まれ、後に「三大宗匠」の一人と呼ばれる茶人ですね。利休の父は堺で高名な大商人であり、彼は店の跡取りとして品位や教養を身につける為に、16歳で茶の道に入ります。18歳の時に当時の茶の湯の第一人者・武野紹鴎(じょうおう)の門を叩き23歳で最初の茶会を開きました。紹鴎の心の師は、紹鴎が生まれた年に亡くなっ...
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