葉室家 | 和の素敵
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私は葉室家の分家ではありますが、ご先祖様を敬い、大切にする心は皆様と同じです。

"葉室家とは"

 

京都洛西に位置する「浄住寺」を菩提寺とする藤原氏北家の一門の堂上公家が葉室家です。

藤原北家勧修寺流の支流。藤原高藤の後裔で、参議藤原為房の二男・顕隆を家祖とし、平安時代に京都は西上桂に荘円をもち、葉室御殿を作り一族が住みました。

そうした名残で、現在でも京都には葉室町という名の町が残っています。

 

"葉室家 紋の由来"

 

朝廷に九州の松浦藩から黒小島に産する珍しい四角形の竹の献上があり、この竹を四本たばねて葉室の祖先に切ってみるように天皇が申されて、その切口が見事な菱形をしていたので、これを葉室の家紋にするようにとのお言葉から家紋になったと伝えられています。

"30年遡れば5億人以上のご先祖様"

 

26代当主、葉室頼胤が元文四年に書いたもの。
元文四年は1739年だから、今から276年前に書かれたものです。

30年遡れば5億人以上のご先祖様。
誰にでもご先祖様はいらっしゃいます。

"葉室家と文武"

 

葉室家は宗教面では伊勢神宮伝奏、賀茂社伝奏を代々つとめています。

文学面でも活躍した人は多く、鎌倉時代には

"来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに     
 焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ"

といった和歌でも馴染み深い藤原定家と並び、評された歌人: 葉室光俊卿や、保元・平治・平家の三物語の作者と言われる葉室時長卿などがいます。

また公卿ではありますが武門でも活躍した人も多く、1221年に起こった「承久の乱」において後鳥羽上皇や順徳天皇の後身がわりとして尽くした葉室光親卿、宗行卿は承久殉難の大忠臣として正一位(神社における神階の最高位に位)を授けられ御殿場の藍澤神社に祀られています。

 

"葉室家と今"

 

現在も脈々と受け継がれる葉室家の伝統と歴史。
浄住寺を菩提寺とし、現代にもその伝統と歴史を伝えています。

前当主(37代当主)であり、元春日大社宮司であった葉室頼昭は、この時代だからこそ伝えたい日本の文化や歴史、神様にまつわること、命の大切さを後世に伝えるべく「にほんよいくに」という絵本を執筆しています。

 

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