和の心 20150424 和の心

日本の意匠の世界は、究極のミニマリズムの美しさ。

 

川口晃平さんのFBより(https://www.facebook.com/kohei.kawaguchi.31

 

某業界のデザイナーの方々に能装束を見せる機会があったので、生意気ながら僕はまずジャブをとばした。
装束に織りだされたポピュラーな紋様を二つほど指して、名前と意味を聞いてみた。
当然とは思ったが、一人も答えられなかった。
指したのは輪宝と巴雲。
この日本にいて、意匠を扱うデザイナーを名乗っていながら、なぜ日本人が千年以上に渡って受け継ぎ、当たり前に使ってきた基本的な紋様を知らないのか。
地紋に使われる七宝や松皮菱や青海波等の柄も、意匠の世界で言えば小学生の足し算レベルの問題だが、やはり誰も答えられなかった。
当然そうなるとわかっていたのだが、デザイナーでありながら母国に関しては初歩の初歩を知らないということをわかってほしくて聞いたのだった。
伝統は古さに価値があるのではなく、その年月工夫改善されてきた蓄積こそが尊いが、引き継ぐべき立場にある人々が手放せば容易に断絶する。
そして先人達はその断絶の危機を見事に乗り越えてきた。
それにしても日本のデザイナーを生み出す機関には、本当に残念の感が湧く。
デザイナーとは結局パクりのプロであるのだから、その引用できる引き出しをいかに確保し、そこで遊べるセンスをいかに磨くのかが勝負だと思う。
シルクロードの最果て・意匠の国日本にいて、その豊か過ぎる土壌をちっとも耕さず、皆が上っ面なことばかりしてきたから、この国の街や物は下品なのっぺらぼうになったのだろう。
今後デザイナーは必修科目として、日本の紋様と色彩について完璧な知識を身に着けてほしいと思う。
が、それだけではない。
日本の意匠はほぼ全て自然の様相を図案化した物だ。
人はパクることによって新しい物を生み出していく生き物だが、誰か人が作った物をパクり続けていくことによって、抽象化はされるが自然の持つ生命力からは遠ざかり枯渇する。
それに自然とは生存競争という、億年をかけた最も厳しいデザインを経てきた形状に満ちている。
僕は美とは必然に宿ると思っているが、自然とは完全に必然で構成されている美の宝庫だ。
しかし漠然と見ているだけではだめで、人間は対象を認識するためには名を知る必要がある。
だからデザイナーは動植物や気候現象の名を熟知し、定期的に自然の中に分け入って、その形状や色彩の美しさに対する感覚、それを生み出し続ける生命力への畏怖を補給する必要がある。
それは一人デザイナーだけの問題ではなくて、僕ら一人ひとりにも必要なことなのだと思う。
だから昔は必ず住空間や居住地区に、そういった空間「小自然」が確保されていた。
それを切り捨てて戦後の日本はきたから、せっかくの里山も野原も川辺も庭も、開発され損ねた薄汚い場所になってしまっている。
伝統的意匠を日常に取り戻し、もう一度暮らしの中に小自然を確保する、これが僕の考えるこれからの日本にとって必要なことだ。
その先導をデザイナーの方々にしてほしいから、生意気ながらジャブを飛ばしたのだった。

 

日本の意匠の世界は、究極のミニマリズムの美しさ。
「和風」のデザインと「和」のデザイン。
似ているようで、その深さの違いたるや。
意匠の意味を知って使うか、知らずに使うかで表現する世界が変わります。
西洋のイコノロジーにも共通する感覚。
(文:Chie MさんのFBより:https://www.facebook.com/chie.m.7

 

川口さんのお話も、Chie Mさんのお話もその通りと思います。
温故知新ではないけれど、現代は古きを捨ててしまっている、見ることもしない。
いや、本当は過去にふれてみたいけど機会がないのかもしれない。
それは、大人である我々の責任。
我々がそれに気づいて、何か動き出さないと本当に困ったことになってしまう。
これからの子どもたち、未来の子どもたちに素敵な日本をちゃんと残していかなければ。
一人一人が出来ることからおこない、点が線にそして面に、いつしかさざれ石のように。
今、出来ることから!