和の心 20150507 イザナギ2

和の心 日本の神話1

 

 日本の神話ということについて考えてみたいと思います。

 神話は、それぞれの民族にとって、何に心をときめかせたかという心の遺伝子がつまっているものだと考えます。

 その民族も、神話を、子が親から聞き、その子が親となって自分の子に話し、その子がこれを心ときめかせつつ聞きます。

 そういう営みが繰り返された結晶が神話であり、感動が幾世代にもわたって持続して今日に至ったものです。

 そのような存在であるため、当核民族にとって「心の遺伝子がつまっている」といわざるを得ないと思います。

 世界ではこれまで人間を大切にしてきました。また仏教は「生きとし生ける物」つまり、人間以外に動物と植物、を大切にしてきました。

 ところが、大切にすべきものは、人間も、生き物も、そして岩なども、これまで無機物とされてきたものも、いずれも大切でした。そういったことが、地球温暖化、地球環境汚染の結果わかりました。

 それら山や岩や海や川や島など生き物と考えられていないものに対し、神がお産みになったものであるとし、大切にしてきたのが神道です。そういう思想を書き残した日本最古の古典が「古事記」です。それらによると、日本では金属も、粘土も、島も、山も、海も、川も、木も、風も、火も、神のお産みになったものであるとあります。

 日本は世界的に見れば自然がよく守られています。全国土に対する森林面積比率は、68.9%です。

 例えば、経済開発機構加盟国でいいますと、その国々の国土面積に対する森林面積比率は、多くが10%台から30%台であって、ほぼ40%未満です。それに対し日本は68.9%という高い比率で森が維持されています。

 ゴシック式の協会は神木の再現であって、その建築の上層部にとりつけられたステンドグラスから取り入れられる太陽光は、木漏れ日の再現と思われます。

 古代のゲルマン民族としては、神木の信仰があります。キリスト教本来の教会の姿てあるドーム式は、灼熱の太陽を避けてイエスが洞窟で法を説いた再現です。

 神木の信仰への包容性はキリスト教が北部ヨーロッパに広がっていく過程で生まれました。キリスト教そのものとしては、後になって、つけ加えられたものです。

 古代ゲルマンの伝承を記録したグリム童話集で語られる森は、人間が入ってはならない森でありました。そこは人間を食い殺す「狼」がいると説かれていました。

 日本でも「入らずの森」があり、人間が入ってはならない森があります。即ち、人間が入ってその森の木を伐ってはならないというのが「入らずの森」であって、神社の背後にこんもりと茂った森が、それです。

 (文:正直と淨明の心:皇學館大学・白山芳太郎先生)

 

日本は昔から自然豊かな国土に感謝をし共に暮らしてきました。それがいつの日か人間だけが偉いと勘違いした私達が文明の発達とともに自然を破壊してきました。そのつけが今来ています。

私達の問題だけでなく、我が子どもたち、孫、未来の子孫のために改めて和の心を大切にして大いなる自然と共生を行わなければならない時と思います。

「ありがとうございます」の思いを何事にたいしても持ちながら。