和の心 日本の神話2

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  昨日の続きです。

 

 古代ゲルマンの伝承を記録したグリム童話集で語られる森は、人間が入ってはならない森でありました。そこは人間を食い殺す「狼」がいると説かれていました。

 日本でも「入らずの森」があり、人間が入ってはならない森があります。即ち、人間が入ってその森の木を伐ってはならないというのが「入らずの森」であって、神社の背後にこんもりと茂った森が、それです。

 伐ってしまうと、そこから流れ出す水が絶え、その神社の周りに展開する集落における稲作のための水が涸れてしまうと説かれたのです。

 本当的に伐ってははならない森というものがあったのです。人間を喰い殺す狼がいると表現したのも同様の本能です。

 それらは森を大切にしなければならないとい日本人や古代ゲルマン人共通の信仰でした。しかし、それをなくしたドイツでは、かつての森の国としてのおもかげがなくなってしまい、伐られて牧草地と化しています。

 旧約聖書によると最初の人間とされるアダムは神が産んだ子ではなく「土」(アダムとは、ヘブライ語で「土」)でありました。

 「古事記」では最初の人間は「土」ではなく神が産んだ子であります。しかも人間だけが神の子なのではありません。島も神の子。山も神の子。海も神の子。川も神の子。金属も、粘土も、水も、穀物も、神の子です。そのようにして、今日に守られてきたものの一つが森であります。

 森では、木の葉が枯れ、落ち葉となり、その落ち葉を、落ち葉の下の昆虫やモグラや微生物が食べ、排泄物とまぜあわせて平均60cmの表土をつくります。

 ミツバチが花の蜜を吸い、唾液とまぜあわせてはちみつを作るようにして、表土を、落ち葉の下の昆虫やモグラや微生物が作ります。

 そのようにしてできた約60cmの表土は小さな穴だらけであって、スポンジのような状態になっています。

 それによって雨の時その下の大地を守ることにつながっています。降った雨が、大地を傷めることなく、スポンジ部分が雨を吸収します。

 そしてスポンジ部分を通過した水が徐々に透明の水となって川へと流れていきます。プランクトンは、森の表土を通過した水と海水とが混じり合ったことによって誕生します。

 それを食べに魚が集まります。そこで、日本近海は世界最大の漁場となりました。日本の川は、スポンジ状の表土を通過するため、いわばコーヒー豆をろ紙でろ過するようにして、泥を含まない川となります。

 大地も川も日本の誕生は「古事記」が語るように人間にはできないわざです。「古事記」は死も語りますが、圧倒的に多いのが生きるということです。どのように生きたらよいか、生きるための知恵がつまっているのが「古事記」です。

 伊邪那岐命・伊邪那美命が海の神・川の神・風の神・木の神・山の神などさまざまな神を生むという「古事記」の神話において、登場する神のほとんどが、島、山、海、川など物体です。

 物体を大切にするということ、それが生きるということです。伊邪那美命の死をきっかけに金属や粘土の神が生まれますが、それらも物体です。そのような信仰が、それを祭る八万の神社において存在するのです。そこにおいて展開した心のいとなみをあらわす語、それが正直および浄き明き心ということばなのです。

(文:正直と浄明の心:皇學館大学 白山芳太郎先生)

 

日本は古よりあらゆるものに感謝をしてきました。もちろん目に見えないものまでも。

この時代において、今一度この感謝の気持ちをみなの心の中に持つことが出来たら、どんなに幸せな世の中が出来ることでしょうね。

今だから必要な、ありがとうございますの心。

 

 

 



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