一ヶ月、いや一ヶ月前になるか、月日は早いですね。
中尾さんに富山の素敵を案内していただいた最後は、越中瀬戸焼の釈永由紀夫さん。
そこで、とっても素敵な茶器とであいました。
一目ぼれ・・・
でも、ちょっと手が出ないので、あきらめて、ぐい飲みに。
富山県を代表する伝統工芸のひとつ、越中瀬戸焼。
その名の通り越中で焼かれた瀬戸焼という意味で、そのルーツはいわゆる瀬戸美濃焼にあります。
越中瀬戸焼の記録の上で最も古いのは立山町上瀬戸集落に伝わる古文書で、それによると天正16年(1588)頃に「小二郎」という瀬戸焼の陶工が前田氏によって「上すけ村」(上来村)に召し寄せられていたことがわかります。
九谷焼のような華やかさはないが、素朴で力強い質感を持ちます。
アップル共同創業者のスティーブ・ジョブズ氏もこよなく愛しました。
のどかな田園の風景が広がる立山町の新瀬戸地区に窯元はあります。
江戸後期までに20以上の窯元が築かれ、茶器から日常の陶器まで幅広く焼かれていました。
明治入ると、北陸線の開通で廉価品が大量に流入、打撃を受けました。
瓦職人への転業も相次いで大正期に廃絶しました。
昭和の初めにこれを復活させたのが地元で瓦工房を経営していた釈永圧次郎氏。
1947年に圧樂窯を創業、当初は九谷焼の陶工を招いていました。
孫に当たる元当主の釈永由紀夫さんは42歳の時、京都で初の個展を開きました。
会期の3日間とも訪ねてきた米国人夫婦がいました。
夫は最終日に大量購入し「自分のイメージで作品の制作をお願いしたい」と別途注文しました。
名刺にはスティーブ・ジョブズとありましたが最初は誰かは知りませんでした。
コンピューター業界で働くめいに話したら「ビートルズのジョン・レノンが来たようなもの」と驚かれ、事の重大さが分かったといいます。
2011年にジョブズ氏が亡くなる数年前まで交流が続きました。
由紀夫氏が新設した登り窯で最初に焼いたのもジョブズ氏の注文品でした。
iPhoneの角がとれた正方形のアイコンの形をした皿の大量注文を受けたこともあるそうです。
スティーブ・ジョブズ氏はシンプルを求めていました。
「シンプルにする」というと何かを割りきってあきらめて、初心者むけに簡素化してしまうようなイメージをもつ人も多いかもしれません。
しかし、そうではありません。 シンプルとは、細部を切り捨てることではなく、細部に宿るものなのです。
スティーブ・ジョブズは「私たちの仕事は、使ってくれる人の心地良さに完全な責任をもつことだ。」とも言っています。