感謝する心  「神道と日本人」より

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日本人はどこに神の世界をかいま見てきたのか。

それは昼でも夜でもない。

そのあわい、はざまの夕方・朝方です。

ここに神の世界を見ています。

ここに我欲がなくなった世界があるのです。

 

京都で大文字焼きがあるでしょう。

その中に「妙」という字がありますね。

あれは少女という意味です。

子供でもないし、大人の女でもない。

その中間で少女です。

そこに神の命を見るというのが「妙」なんです。

ところが、このごろは少女がいないですね。

-中略-

ところが、このあいだNHKのテレビでモンゴルの番組を見ていて、そこで生きている子供たちが実に素晴らしいと感じたのです。

着ているのはきれいとはいえないし、食べているものも、我々から見たら豊かといえないようなものですが、眼が輝いている。

海を見たことがないということで、映画で海を見せていましたが、あんなびっくりしたような無邪気な顔をして海を見ている。

 

神さまが現れるというのは、本当にこういう顔だと思いました。

我欲がない。

本当の子供というのは、今はそういうところにしか残っていないんですね。

-中略-

ですから、我欲をなくすために祓いつくし、それで、本当の姿を持たなければいけない。

これは、いつも私が言っている、理屈でものを考えるなということです。

理屈で考えるからこういう世の中になったのだから、それを一度全部捨てる。

神さまというのは理屈のない世界にいらっしゃる。

理屈を言っている間は神さまは見えないわけですから、理屈を言わず、感謝しなさいと。

けれどいまは感謝もできないんですね。

感謝しろと言うと、何にですかと聞く。

感謝に理屈なんかないでしょう(笑)。

だから、「理屈なくありがとうを言いなさい」と言っていますが、それが言えない。

何か目の前に理屈がないと頭も下げられない。

本当に滅亡寸前の民族になっていますね。

(文:神道と日本人:葉室頼昭)

 

神社に参拝したとき、誰もが手を合わせてお祈りをします。

お願いするのではなく、ただただ無心、「ありがとうございます」と手を合わせることが大切ですね。

(写真:HatenaFotolife:http://f.hatena.ne.jp/Isil/20090827051529

 

 



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