和の心 20150828 

なぜ白装束が「黒」に変わったのか

 

 

現代人にとって正礼装の喪服といえば、やはり黒装束が常識的です。

男女問わず、親族も弔問者も、すべて黒ずくめの服装をしているので、一見しただけで葬式であることがわかる。

伝統的な無垢の白装束は、宮司・禰宜などの神官や一部の仏教宗派に残るが、およそ死者を見送る葬祭儀礼に関しては、和服と洋服を問わずに”黒染の喪服”とするのが、今ではひろく一般的です。

それでは、一体、いつ頃から黒の喪服が定着したのだろうか。

これは、明治維新政府による欧化政策のひとつとして、西洋の葬祭儀礼にならってひろめられたことを契機としています。

長き江戸幕府の時代に終わりを告げ、鎖国が解かれる際に、国際的にも通用するさまざまな生活習慣が取り入れられました。

髪形、服装、食事、生活スタイル、住まい、生業など多くが変わらなければならなかった趨勢(すうせい)において、もちろん葬祭マナーも新たに身につけておく必要がありました。

長年にわたって神道や仏教、儒教、道教などといった東洋だけに限られて信仰されていたわが国の宗教界は、とりわけ世界中を席巻していたキリスト教という西洋文化を否応なく受け入れることになり、いわば”恥ずかしい国民”と世界から思われぬよう、配慮する必要がありました。

直接的には、明治30年(1897)の皇室葬儀の際に、当時の政府は列強の国賓の目を気にして黒での統一が決定したといいます。

その後は、皇室の喪服を黒とすると正式に規定されるに至り、庶民もそれにしたがって徐々に広まっていきました。

やがて第二次世界大戦によって戦死者を供養する葬儀が格段に増え、喪服の需要が増加すると、都市部の貸衣装店を中心に汚れやすい白ではなく、汚れが目立たない黒の喪服を揃えるようになったのです。

かくして日本の喪服の歴史は、白装束と黒装束とを繰り返してきたといえます。

また喪服は本来、喪にある期間中ずっと着用するものであったのですが、近年は、わずかに葬送の日などに着装されるにすぎません。

しかしいずれの色であっても、どのような着こなしであっても、家族や隣人の死は、永遠の別れという非日常的な出来事であり、世界に共通する悲しみの感情を表現しています。

日本人にとって元来、白装束が喪服の姿であったとはいえ、わが国には古くから、「黒不浄(くろふじょう)」という言葉もあったほどで、死者の赴く黄泉の国は、根の国、すなわち地底深くの暗黒の世界と考えてきたのです。

そのため、普及には開国など諸般の事情があったとしても、黒装束の喪服が定着することに、人々は、それほど違和感を覚えなかったのではないでしょうか。

ただ近親者のみならず、弔問客までも黒装束となったのは、喪服の手入れの簡単さに加え、戦後欧米諸国の影響もあって実にこの半世紀のことであり、急速な近代化によって一層拍車がかかった”新しい常識”なのです。

(文参考:知れば恐ろしい「日本人の風習」:千葉公慈著)

 

そうなんです、「新しい常識」。

今、常識のことは、少し前には非常識、あるいはまったく違った常識であったことがたくさんありそうですね。

明治維新後、欧米の影響から、大きくあらゆることにおいて日本が変わりました。

第二次世界大戦後、GHQ等の影響で一段と拍車がかかりました。

良しも悪しもありますが、改めて古来からの日本の素敵なことを、あたりまえに行ってきていたことを習慣づけてもいいのではないでしょうか。

それが日本の、そして、地球規模でのありがたいことになっていくのだと私は信じています。