和の心 20150831 もののふ

「もののふ」のこころを取り戻す

 

一昨年は古事記編纂一千三百年ということもあり、古事記ブームが日本を賑わせた。

そして昨年はお伊勢の式年遷宮を出雲の大遷宮が重なった六十年ぶりのめでたい年であった。

古事記の編纂が行われたのは一千三百年前、式年遷宮が始まったのも一千三百年前。

その頃と現代では日本人はどこが変わったのか。

本質は変わっていないのである。

天皇や神社を奉戴し続け祭祀や儀式は延々と営み続けられている。

 

千七百六十三年、本居宣長は「古事記伝」を三十数年かけて著した。

三十四歳の時その師となる賀茂真淵(かものまぶち)と邂逅(かいこう)を果たした。

そでに高齢であった真淵は古事記の研究を宣長に委ねる。

これが有名な「松坂の一夜」である。

この時、ちょっとした、しかし重大な論争が師弟の間で交わされた。

日本人の本質にある情動のことである。

真淵は日本人の本質は万葉集の中に見られる、高き、直き(なおき)心、潔さである「もののふ」の「益荒男(ますらお)ぶり」にあると言う。

しかし宣長は違った。

日本人の本質は「しどけなき心」であり、「もののあはれ」であり、「手弱女(ておやめ)」であるといい、それはむしろ古今集に近いと主張した。

唯一、師と異なった論点であった。

 

しかしこの問題も古事記を掘り下げれば解けるものである。

日本の神々は男女両性、父母両性の源の天之御中主大神から分かれた、父(男)なる神となる高御産霊(タカミムスヒ)、母(女)なる神となる神御産霊(カミムスヒ)から出発している。

他にもカムロギ(男性神の総称)、カムロヒ(女性神の総称)、イザナギ、イザナミによあるように全て対になって存在しているのだ。

真淵と宣長の論争は父(男)なるもの、母(女)なるものについて述べているに過ぎない。

武士道を形成する源「もののふ」も、日本的情緒を形成する源「もののあはれ」も、全て日本の根底に息づいているのである。

 

日本の歴史を紐解けば一目瞭然であろう。

平安期の手弱女文化、鎌倉期の益荒男文化、以下同様に、室町と戦国、江戸と明治、大正と昭和の大戦頃、戦後日本とこれからの日本。

全てが交互に益荒男文化と手弱女文化が入れ替わるのである。

 

戦後の日本はあまりにも手弱女ぶりが行き過ぎたと思う。

それによって自主独立の気概、国家への忠義、愛国心、英霊たちへの追悼、国家を背負う次代の人材育成、全てがなおざりになってしまったのだ。

日本を侮り続ける諸外国もそこにつけ込んでくる。

いまこそ、「もののふ」の精神を呼び醒まし立ち上がらなくてはならない。

そして、それにより父なるもの、母なるものが調和し、健全な国家として蘇りを果たすもの確信するのだ。

やがて中韓米の日本への侮りは影を潜めるのである。

(文:美し国代表 菅家一比古:美し国より)

(浮世絵:「深見自休」月岡芳年(1887) 「月百姿 名月や来て見よかしのひたい際」)

 

あなたは手弱女?それとも益荒男?