大祓詞

「大祓詞(おおはらえことば)」を知るⅠ

 

先日、丹生都姫神社の宮司さまによる神社を知る講座に参加しました。

そのお話が「大祓詞」を知り・唱え・書く、でした。

みなさまは「大祓詞」をご存知ですか。

 

はじめに

仏教の精神を知るには、まずはじめに「般若心経」を読んだらよいと、よく言われます。

神道には、このようなものがないのかとよく質問を受けます。

神道は、いわゆる教義・経典の存在する宗教ではないので、このようなものはありません。

しかし、古代から唱えられてきた「大祓詞」の中にその精神が伝えられています。

 

一、「大祓式」の起源

当社も含めて、全国の神社で六月と十二月の末日に斎行される「大祓式」は、古代の律令体制のもと、、国家行事として行われた「大祓式」に起源を求めることが出来ます。

年に二回、六月と十二月の月末(三十日(みそか)これを晦(つごもり)という)、親王をはじめ、大臣以下、百官の男女を朱雀門の前の広場に集めて行いました。

「祓」という、罪や穢れを祓い清めるための神事に「大」をつけることは、国家的規模の公の儀式、社会全体の儀式であることを示します。

人々が半年の間に知らず識らず犯した罪穢れを祓い、国全体に災厄が降掛からないように祈るのが目的です。

 

二、「大祓詞」

その大祓式の儀式に於いて、朝廷の祭りを司っていた中臣氏によって宣読されたものが、「延喜式」巻八に所収の祝詞「六月(みなずき)の晦(つごもり)の大祓(十二月(しはす)はこれに准(なら)へ)」として今に残っています。

現行の「大祓詞」はこれに基づきますが、始め、中ほど、終わりの部分に省略を施して、国家儀式用から、個別の集団や個人が毎日奏上できる形に整えられたものです。

つまり、現在も六月と十二月の末日に全国の神社で行われる「大祓式」に奏上されるのは勿論のこと、それ以外の場合にも用いることができるようになりました。

これは、我が国の歴史の中でも「大祓詞」に対する認識の変遷によるものです。

 

三、歴史にみる「大祓式」と「大祓詞」の変遷

国家的行事としての「大祓式」が律令体制の衰退にともなって次第に形骸化してくると、中臣氏によって「~聞こし食(め)せと宣(の)る」という一般の人に読み聞かせる儀式中の文句が「聞こし食せと申す」という、八百万の神々に直接申上げる形で「中臣祓(なかとみのはらえ)という名称とともに一般に流布してきました。

これは平安時代の中頃から盛んになってきた陰陽道の祓の儀式に用いられたこと、仏教の、特に密教の祈願に取入れられたこと、さらには中世に武家や民衆と接近するようになった伊勢神宮の神主たち、または御師たちによる全国的な布教活動、さらにまた中世から近世にかけての吉田神道の拡がりによる一般化と考えてよいでしょう。

こうして全国的に各階層に広められた「中臣祓」は、近世中期、国学の勃興によって、賀茂真淵(かものまぶち)や本居宣長(もとおりのりなが)をはじめとする国学者たちの精密な研究により、原典「六月の晦の大祓」が尊重されました。

この態度を引き継いだ明治維新後、「大祓詞」という名称によって今に至ります。