「神宮大麻」ご存知ですか。

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「神宮大麻」ご存知ですか。

お家におまつりされてますか。

 

神宮大麻は、神宮の御師によって神宮崇敬は全国にひろめられ、江戸時代末期までには全世帯の9割が神宮の神札「大麻」をおまつりしていたといわれます。

明治の盛大に入りますと「神宮大麻」の頒布制度も完備され、明治天皇さまの大御心のもとに、国民あまねく広大無辺の大御神さまの大御光を仰ぐことが容易になりました。

天皇陛下のおまつりが「神宮祭祀」にきわまり、国民ひとしく「神宮」を崇敬するところに、うるわしい君臣一帯の国柄が見られるのです。

つまり、悠久の民族的連帯という意味から、「神宮大麻」には個人的宗派をこえた「公的性格」が認められるのです。

一方、神楽殿で授与する授与大麻「角祓」「剣祓」というものは、ご参宮の感激と喜びの中でこそ拝受できる各自の「こころね」に根差したものです。

御神楽・御饌などの祈祷大麻と同様に、個人的な感情のおもむくところですから、いわゆる国民ひとしく頒布されるべきところの「神宮大麻」とは、その性格からして区別して考えなければなりません。

 

日本には国土の美しさもさることながら、万世一系の「天皇」を戴く世界に誇るべき君主制度があります。

畏くも天皇陛下には、日々の「おまつり」において五穀豊穣、国歌の繁栄や国民の幸福を祈り、大御心のすべてを国民生活の上に深いご関心として寄せておられます。

毎年の作柄はもちろん、風水害などの天災にまで御心を砕かれる君主が、世界のどこにおられましょうか。

よくそれを知る国民の側でも、自国の幸福の前提として皇室の御事を祈りつづけてまいりました。

この一見して単純とも思われる信頼関係が、国家体制として変わることなく2000年以上も連続している「かたち」が、そのままに神ながらの道であり、すなわち「神道」であると言えます。

(文:伊勢神宮崇敬会より)

和の心 20151009 神宮大麻2

なぜ伊勢の神宮のおふだの事を大麻と云うのでしょうか。

その理由を求めると、平安時代末期にまで遡る事ができます。

平安時代末期から江戸時代にかけて、伊勢には御師(おんし)と呼ばれる、参詣者を伊勢の神宮へと案内し、参詣者の参拝・宿泊などの世話をする人達がいました。

御師は神宮に仕える祀官で、伊勢の地で諸国からやって来た参詣者の世話をするだけでなく、神宮の御神徳を広めるため自ら全国各地にも赴き、崇敬者の家を一軒づつ訪問するといった教化活動も行っていました。

元々神宮は私幣禁断(個人的な祈願を受けない)のお宮でしたが、諸国を巡った御師の活躍によって、広く一般の崇敬を集めていったのです。

そして御師は、「檀那(だんな)」と呼ばれる崇敬者の家を訪ねる度に、幾度となく祓詞を唱えると清めの力が増すという数祓(かずはらい)の信仰に基づく「千度祓」や「万度祓」といったお祓いの御祈祷を行い、その際には、祓串(はらいぐし)を納めた箱などを檀那に持って行きました。

この場合の祓串というのは、神社でお祓いを行う際に今でも使われる大麻(おおぬさ)を小型化した祓いの具のようなもので、その祓串を納めた箱が所謂「お祓い箱」で、これと共に、小さな祓串を剣先形に紙で包んだ「剣先祓い」も広く頒布されました。

これは「御祓(おはらい)大麻」とか「お祓いさん」とも呼ばれ、今日の神宮大麻の原型になったと云われています。

明治四年神宮に関する制度が一新されて、御師による祈祷・神楽・配札は全て停止され、翌年、明治天皇の思し召しにより、神宮司庁から神宮大麻が奉製・頒布される運びとなって全国に神宮大麻が頒布されるようになり、ほぼ現在の形になりました。

ですから、伊勢の神宮のおふだの事を「大麻(たいま)」と呼ぶのは、祓いの具である「大麻(おおぬさ)」からきたものであり、本来は御師がお祓いを修した験(しるし)の祓串であったからなのです。

ちなみに、伊勢の神宮以外の神社で、その神社で頒布しているおふだの事を「神社大麻」もしくは「大麻」と称している例が見受けられますが、これは伊勢の神宮の例に倣った呼び方です。

(文:西野神社社務日誌:http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20111102

 

毎日、朝起きて神棚に祀ってある神宮大麻に向かって、神さま、ご先祖さまに、 「きょうも一日ありがとうございます」って。

この感謝の気持ちが広く広く日本、いつかは世界中にあふれますように!

 

 

 



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