和の心 20151026 旧大乗院庭園茶室

言挙げせず 和の心

 

神社で奏上される祝詞の冒頭部分に「掛け巻くもかしこき」という言葉があります。

これは神さまに「言葉に出していうのには恐れ多いことですが」という意味です。

神社では日本独自の精神を伝える「言挙げせず」という言葉や精神性を大切にしています。

「言挙げ」とは「言葉に出す」という意味。

それを、「せず」と否定するので「言葉に出さない」という意味になります。

人に心があり感情がある限り、それを言葉に出して伝えることはむずかしいから言葉に出さない、という奥深い意味を持ちます。

今の世相から見れば、人に対して気持ちを伝える気力がなく、諦めてしまっているように思われますが、それはまったく逆です。

日本人は言葉に出さずに相手の感情を察し、心を感じ合い心での会話をしてきました。

気持ちを言葉に出して表現するのではなく、目でものをいい、身体に心をにじませてきました。

言葉は非常に便利なもののように見えますが、言葉ではいい尽くせぬ心の部分が生じます。

言葉は発する者の感情表現や聞いた者の精神状態でその意味はさまざまに変化し受け取られます。

相手を思い尽くそうおとする力があれば、言葉にせずとも通じ合えてきたのです。

お互いが言葉に出さずとも感じ合うことを実践して、信頼関係が生まれる社会ができていました。

互いに言葉を越えて心で感じ合うこともまた、「言挙げせず」といいます。

言葉や体裁、形式よりも、大切な人の心や感情を察して生きていくことの重要さを、日本人は知っていました。

「言挙げせぬ国」だからこそ、言葉を発する時は相手の気持ちやすべてに心を巡らして、言葉に魂を込め、言霊と言ってきました。

(文:心に荷物をおろす場所:丹生川上神社宮司・皆見元久著)

 

少し前に「No」といえない日本人の本が流行りました。

日本中が欧米のように、嫌ならちゃんと「No」と言えるようにならなければと思ったのではないでしょうか。

「No」といえば争いになるのに。

「言挙げせず」のように日本人はもっともっと古からの和の心をちゃんと繋いでいかなければ。

和の心が世界を救うことが出来るのだから。

(写真:旧大乗院庭園茶室よりお庭を見る)