武士道「勝負あった、それまで!」 和の心

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グローバル化が進み、混沌とした世界情勢の中で際立っているのが、日本人の不思議な生き方や考え方です。

その精神を表すのが武道です。

礼に始まり礼に終わる、何事も区別をせず礼をして感謝する武道は世界に広がっています。

その精神についても世界的に研究が進んでいます。

日本特有の精神世界は勝ち負けなどの結果ではない、すべてに感謝して前向きに生きることが大きな価値となります。

ものごとの良し悪しに関わらず感謝するのが生き方の美学なのです。

外国人はもちろん、今や現代思考の日本人ですら理解しにくいものになっていると思いますが、もともと武道は結果を求めません。

たとえば、本来の武道の勝敗は、師範の「勝負あった、それまで」という声のみ、どちらが勝ったとはいいません。

戦った者同士が察しあい、負けたと思ったものが先に「参りました」という、勝者も勝った喜びを露わにしません。

結果をはっきりと口にせず、お互いをたたえ合い、礼を尽くし感謝して終わる。

日々の大なり小なりの出来事で心を奪われ、喜んだり悲しんだりするのも周囲に配慮して慎みます。

勝ちはこれからの幸せを保証するものではなく

敗けがずっと不幸を意味するものではなく心揺れないように自己を律するからこそ、自己が成長すると知っていたのです。

人を思いやる大きな心とともに、何事にも動じない生き様、ぶれない高い精神性が生まれ、その精神こそが日本の武道や武士道の根底にあるのです。

(文:「心の荷物をおろす場所」丹生川上神社末社宮司皆見元久著)

 

先日、ある記事でサッカーのフランス選手が

「日本は確かに強くなってきているが、私たちはまだまだ負けない。なぜなら、私たちは子供のころ柔道や空手など武道を習い礼に始まり礼に終わる、武道を身につけているから。」

「日本の子供はなぜ武道をしないのですか?」

なんという話でしょうか。

今や柔道人口は日本よりフランスのほうが多いです。

いつの間に・・・

 

また、先日のラグビーワールドカップでもそうでしたが、何かというとビデオ判定。

何故、ビデオ判定が必要ですか。

ちゃんと正しい判断をしないといけないから?

もちろんそれも必要ですが、それより、審判は全てです。

審判が白と言えば白、そういって昔から育ってきました。

その判定に物をいわない選手、それでいいではないですか。

もちろん間違うときもあるかもしれません、でも、何よりも審判も一生懸命されてます。

それをなぜ?

審判も一生懸命しなくなりますね。

困ったな!

 

もうじき紅葉。

そんなことを思いながら、和の心が広がりますように。

 

 

 



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