延喜式内 名神大社 「熊野本宮大社」

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熊野本宮の創祀

熊野国造家の開祖は天孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の御兄君天火明命(アメノホアカリノミコト)です。

その子孫に当たる高倉下(タカクラジ)は熊野の村に在って神武天皇に天剣布都御魂(フツノミタマ)を献げてお迎えし、時を併せて高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は天より八咫烏(ヤタガラス)を遣わし大和の橿原まで導かれました。

第十代崇神天皇は大和民族の旨は神を祀ることとお考えになり、時を前後して神宮(伊勢)や本宮(熊野)が奉祀されました。

第十三代成務天皇の御代には国々の境(県境)が決められ、紀伊半島の南半分(志摩半島より南)が熊野の国と定められ初代の熊野国造(長官)には高倉下の子孫大阿斗宿禰(オオアトノスクネ)が就任しました。

和の心 20151220 熊野本宮3

この様に熊野国造家とは天津神の子孫で物部氏の祖先に当たり、得に天神地祇の子孫に当たる氏の事を神別諸氏といいます。

神世の時代、この熊野の地を治めた天孫系神別諸氏の日神信仰によって創立したのがこの本宮で、それは熊野の大神の神遺が太陽の化身「八咫烏」であることも本宮祭神の始元が日神であったことを物語っています。

熊野信仰とは一言で云えば太陽の黄泉返りを願う祭礼です。

その後の本宮は千数百年渡り熊野国造家の子孫によって代々お祭りされることになります。

和の心 20151220 熊野本宮5

 



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