和の心 20160124 竹本住大夫2

「七世竹本住大夫-私が歩んだ90年-」

 

「ちょっと、しゃべりすぎたかなあ」

大阪市内の自宅。

住太夫は現役時代と変わらぬ弟子への厳しい稽古の後、愛嬌たっぷりの笑顔緒を見せた。

「七世竹本住大夫-」は、自身五冊目の芸談である。

明治大の高遠弘美、福田逸両教授の質問に答える形で、Q&A方式に。

普段の住大夫の肉声が聞こえてくるような語り口は人情味にあふれ、ときに厳しく、ときにユーモラスだ。

文楽大夫として頂点に上りつめた住太夫の基盤にあるものが、古き良き華やかな上方文化であることもよく分かる。

「北の新地という花柳界で育ちましたし、父親(人間国宝だった六世竹本住大夫)や母親の影響で子供の頃から芸事が大好きやった。親に連れられて文楽はもちろん、歌舞伎や映画、なんでも見に行きました」

<芝居を見るときは道頓堀の堺重(さかいじゅう)という芝居茶屋にランドセルを預けて、お茶子さんに劇場まで送ってもらって、桟敷で弁当を食べながら見るんです>(著書より)

そんな子供時代を送った住大夫は昭和21年、文楽の世界に入る。

文楽は修業が厳しく実力の社会。

しかも経済的にも恵まれているとはいえない。

しかし住大夫は「浄瑠璃が好き」の一念で太夫になった。

「ところが、それまでかわいがってくれていた師匠方の風当たりがきつうなって・・・。「ふん、大学出の太夫か」といわれたこともありました」

また、著書には「食うや食わずやなしに、食わず食わず」という、三和会時代の経済的な苦労も赤裸々につづられている。

しかし住大夫が語ると苦労話もどこか明るい。

「僕は不器用で生まれつき悪声。そやから食らいついて食らいついて稽古していただいた。三味線の師匠に「あんた好きでんな」とあきれられたこともありました」

平成24年、脳梗塞で倒れたときも、88歳にして壮絶なリハビリを乗り越え舞台に戻ってきた。

聞き手の福田教授はそんな住大夫を、「努力する才能」と表現しているのが印象深い。

住大夫が人生を懸けて、到達した芸境は<語らんと語ってるように聞こえさせる>こと。

だから住大夫の語る義太夫節はしみじみと心地良く人の心に入ってきたのであろう。

引退した今、弟子たちの稽古とリハビリ、そして”ご意見番”として舞台稽古に足を運ぶ日々。

「人間も芸も情でんな。昔の大阪とまではいかんまでも、文楽を通じて大阪が情のある町になればええなあと思っています。」

(文:産経新聞)