「和」でつくられた日本人の心

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英国人記者、ヘンリー・S・ストークス氏と加瀬英明氏の共著、「世界に比類なき日本文化」より。

 

ストークス氏は、日本が世界でただ一国、和の社会を形成しており、日本語の和や、心という言葉を、そのまま英語や、外国語に訳することができないと、説いている。

日本人の心が和によってつくられ、心が和をつくってきた。

私たちが日常、当たり前のことだと思っている和は、日本だけに独特なものである。

私たちが海外に出て、レスストランや食堂に入ると、アメリカでもヨーロッパでも、中国、韓国でも同じことだが、日本とちがって、客がみな大声で話しているために、たじろいでしまうものだ。

入る店によっては、耳を聾するようなことがある。

私は1950年代後半に、アメリカの大学で学んだ時に、幕末に、日米修好通商条約の批准書交換するために、アメリカへ渡った遣米使節団の手記を思い出した。

使節団が万延元年(1860)にサンフランシスコに到着して、市長の歓迎レセプションに招かれた。

ホールには、市の有力者が詰めかけていた。

宿舎に戻った後に、副使の村垣淡路守範正が、すっかり呆れて、その時の印象を次のように記している。

「席中のやかましいことは、言葉につくしがたい。(略)悪くいえば、江戸の市中などの鳶人足の酒盛りもこのようなものと、思われる」(万延元年第一遣米使節日記)

日本人にとっては、西洋人であれ、中国人、韓国人であれ、アラブ人であれ、外国の人は饒舌で、絶え間なく喋り続けるから、違和感を覚えることになる。

そのうえ声が大きいので、その国にしばらくして慣れるまでは、何と品性を欠いている人々なのかと誤解して、見下してしまうものだ。

しかし、これらの国では、人々が歴史を通じて、日常、異民族と接触しなければならなかったのに加えて、王朝が興っては亡び、支配者がそのつど入れ替わった。

そのうえ、多民族による侵略をしばしば蒙った。

人々は新しい支配者のもとで、人智をつくして、生き延びなければならなかった。

日本が頻繁に天災に見舞われる国であるなら、これらの諸国は絶えず、人災によって苦しめられてきたから、人々は信頼し合うことができず、自らの身を守るために、つねに自己を中心に置いて主張するか、時によっては、必死に、弁解しなければならなかった。

したがって、人々の口数が多く、声が大きいからといって、不快に感じてはなるまい。

同情しなければならないのだ。

日本人は和によって、結ばれてきたから、いつだって謙虚で、控え目に振る舞い、寡黙なのだ。

そこで、大きな声を出したり、大袈裟な身振りをすることを嫌う。

私たちは日常会話の中で、和服から、和装、和食、和室、和歌、和菓子、和傘、和風、和文まで「和」がついた言葉を、ふだん深く考えることなく使っているが、和の心こそが日本人を、日本人たらしめてきた。

それが日本の力の源となってきた。

(文:「英国人記者が見た 世界に比類なき日本文化」 著 ヘンリー・S・ストーク/加瀬英明)

 

言うことないです。

その通りですよね、。

でも、現代の日本人たちはこの違い、そして違いの理由を知ることなく、「No」といえなければなど海外文化が全てと思っていることが多いようです。

いえいえ、日本の和の心の文化が一番大切なのではないでしょうか。

特に、争い、戦争の時代が終わり、その後の経済優先、お金の時代から、心の時代、和の心の時代へと変わり始めている今をしっかりと感じていかなければならないのではないでしょうか。

もう争いはいいでしょ。

みなさんが笑顔で楽しく暮らせる毎日を願って「和の心」大切にしていきたいと思います。

素敵な自然の四季に感謝!

 

 



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