和の心 20160531 和の心2

日本の文化とは「心を分かち合う」文化

 

日本に来て50年、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のヘンリー・S・ストークスさんの著書「英国人記者が見た 世界に比類なき日本文化」の中より、2回目です。

 

日本人が寡黙なのは、日本社会においては、自己主張する必要がないからなのだ。

私は国際人という言葉を、嫌っている。

そろって、軽薄だからだ。

国際人を気取る日本人が、「日本人が黙って意味もなく微笑むのは、外国人から見ると気持ちが悪いからやめるべきだ」というのを、聞いたことがある。

理由もなく微笑むのは、恥ずかしいことだというのだ。

日本人であるくせに、日本が洗練された和の文化であるから、笑みを絶やさないことを、知らないのだ。

人が微笑むほど、素晴らしい贈り物はない。

ヨーロッパ諸国には「心を合せる」という表現がない。

意味がなくても、微笑むというのは、美しいことではないか。

西洋社会では、相手が目上だから、黙っていなければならないということは、まったくない。

日本では上役や、目上の人と同席した場合に、下の者が、上の者を差しおいて話のは、礼を失する。

そこで、上役と一緒に出席した時には、まったく口を開かないことがある。

このような考え方は、西洋にはまったくない。

発言するということでは、目上目下という分け隔てがまったくなく、同格で、平等である。

西洋では、多くの民族が地続きで、生活してきた。

多くの文化がいつもぶつかり合う、多様な社会であってきた。

日本のように小さな列島に、ほぼ単一である民族が、体をすり寄せあって暮らしてきたのとちがって、「以心伝心」ということがあるはずがないから、相手が何者なのか、知らなければならなかった。

私はアメリカに留学したあいだに、何人かの女子学生とデートした。

ところが、のべつ幕ないしに喋りつづけなければならないので、すっかり疲れてしまい、辟易した。

他のヨーロッパ諸語も同じことだが、英語をはじめとして、ヨーロッパ諸語は日本語に似ていて、日本語の中に中国から多くの漢語が入ったように、ラテン語やギリシャ語がもとになった言葉が、混じっている。

「コミュニケーション」「コミュニケート」「コミューン」「コミュニズム」(共産主義)も、同じラテン語の「コミュニカーレ」からきている。

だが、日本の共同体は、心を分かち合うことによって成り立っているが、西洋の共同体は、心でなく、利益を共有することによって結ばれている。

日本だけにある俳句は、日本人の寡黙さを、よく表している。

俳句は小粒だが、強く輝く宝石のように、美しい。

社交の場である茶室では、ことさらに沈黙が重んじられる。

寡黙であるから、口に出さなくても、何を欲しているか、察しあった。

日本はつねに、分かち合う社会であってきた。

和歌や俳句は、西洋の詩が、作者の主観に基づいているのに対して、日本では作者が誰であってもよい。

「古池や、蛙飛び込む水の音」という句の作者は、芭蕉でなくても、誰であってもよいのだ。

みんなの共同体験を、切り取ってうたっている。

和歌や俳句は、表現が控え目だ。

西洋や中国の詩のように直接的ではなく、察しあうところに、大きな特徴がある。

(文:「英国人記者が見た 世界に比類なき日本文化」:ヘンリー・S・ストークス 加瀬英明著)

 

ヘンリー・S・ストークスさんのこの本、本当に素敵な本と思います。

日本のすばらしさをこんなに見事に表現いただいて感服してしまいます。

でも、このように素晴らしい日本人(過去にはそうだったのかもしれません)が、現代には失われてしまってきているのではないでしょうか。

先ずは、多くの日本人に読んでいただきたい一冊です。

小学校の道徳の時間ででも読んでいただけたらと、思ってしまいます。

遥か昔の時から、自然に恵まれ、世界のどこにもない心を通じ合わせて生活をしてきました。

今、このような世の中だからこそ、大切にしたい、和の心ですね。

ヘンリーさん、本当にありがとうございます。

多くのことを学ばしていただきました。