美しい日本の私 川端康成のお話しより

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「雪月花」はノーベル文学賞の川端康成が、日本人の美意識や特質を表現しようとした言葉として知られています。

その川端康成氏がノーベル賞受賞記念講演で日本人の美の心を端的に語った中に、このようなお話しがありました。

 

 

「春は花 夏はほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり」

この道元の歌も四季の美の歌で、古来の日本人が春、夏、秋、冬に、第一に愛(め)でる自然の景物の代表を、ただ四つ無造作にならべただけの、月並み、常套、平凡、この上ないと思えば思へ、歌になっていない歌と言へば言へます。

しかし別の個人の似た歌の一つ、僧良寛の辞世

「形見とて何か残さん春は花 山はほととぎす秋はもみぢ葉」

これも道元の歌と同じやうに、ありきたりの事柄とありふれた言葉を、ためらひもなく、と言ふよりも、ことさらもとめて、連ねて重ねるうちに、日本の真髄を伝へたのですあります。

まして、良寛の歌は辞世です。

 

「霞立つ永き春日を子供らと 手毬(てまり)つきつつこの日暮らしつ」

「風は涼し月はさやけしいざ共に、踊り明かさむ老いの名残りに」

「世の中にまじらぬとにはあらねども ひとり遊びぞ我はまされる」

これらの歌のやうな心と暮らし、草の庵に住み、粗衣をまとひ、野道をさまよひ歩いては、子供と遊び、農夫と語り、信教と文学との深さを、むづかしい話にはしないで、「和顔愛語(わぐげんあいご)」の無垢な言行とし、しかも、詞歌と書風と共に、江戸後期、十八世紀の終わりから十九世紀の始め、日本の近世の俗習を超脱、古代の高雅に通達して、現代の日本でもその書と詩歌をはなはだ貴ばれている良寛、その人の辞世が、自分は形見に残すものはなにも持たぬし、なにも残せるとは思わぬが、自分の死後も自然はなほ美しい、これがただ自分のこの世に残す形見になってくれるだろう、といふ歌であったのです。

日本古来の心情がこもっているとともに、良寛の宗教の心も聞こえる歌です。

(本:美しい日本の私-その序章-・著川端康成)

 

 

四季折々の「雪月花」の美に触れ、感動にめぐりあう自然を共にする日本人の心。

雪、月、花など、これらに共通するものは白のイメージです。

白という色は、日本人が良しとしてきた日本の精神性を最もよくい現わしている色で、清らかな心根、穢れのない思い、素直な心などに結び付くような気がします。

人は、嘘偽りの多い俗世に生きることを余儀なくされていますが、これからの子供達には、少なくともこの白のイメージを伝え遺して行きたいものです。

 

露をふくませた一輪の白いつぼみの椿や牡丹に「花やかさ」を見る日本人の感覚。

大切な日本人の心。

この時代だからこそ改めて川端康成に学び「雪月花」を愛でたいと思います。

 

 

 



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