「転依(てんね)」とは。

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薬師寺さんからのお便りに、「転依(てんね)」、村上太胤管主の書が送られてきました。

 

私の尊敬する村上官主のお話し。

「転依」 依りどころを転ず

 

敗戦後の日本人は経済的豊かさを優先してきました。

グローバル社会になった現在、国も家庭も情報が溢れ、心が落ち着くゆとりもなくなってきています。

「物から心の時代へ」と願っても、政治や経済の社会では宗教はなくなってきています。

心を育てる宗教や情操教育は、一部の学校か家庭でしかできなくなっています。

その家庭でも仏壇がなくなり、祖父母との同居が減ってきています。

神仏に手を合わせ、年長者を敬い、いたわる親の姿を見て育つということが難しい時代です。

依りどころを転じて、仏法を人生や生き方にいかに活かすか、今後の課題であります。

薬師寺管主 村上太胤

 

 

依りどころを転じてみると、受け止め方も違ってくる。

 

今から1300年前、日本の中心は奈良でした。

その当時、使われていた言葉を上代日本語、大和言葉とも言います。

その中に現在を表す「中今(なかいま)」という言葉があります。

元々は、続日本紀の中に聖武天皇のお言葉として記されていて、広辞苑では「過去と未来の真ん中の今、遠い無限の過去から、遠い未来に至る間としての現在。現在を賛美している語」とあります。

今を賛美する言葉としてだけでなく過去のおかげの上に今があり、その今が次の今を育てる。

だからこそ、今の生きるものの考え方が大切であるという意味だったようです。

アメリカの原住民、イロフォイという民族は、何か物事を決める時に「7代に渡って及ぼすことになる影響を考えなくてはならない。どんな事も7代先まで考えて決めなければならない。」と唱えてから会議をしたといいます。

今の私たちは「自我」がとても大切なのではないでしょうか。

もちろん、子どもや孫のことを考えている人はいらっしゃるでしょうが、顔も知らずもちろん声を聴くこともない世代まで考えるとなると全く考えが及ばないのが現実ですね。

しかし我々は、今更に自分の生き方が未来に大きな影響を与えるという事を、忘れてはならないのです。

そう「中今」に生きていて生かされているのです。

 

お釈迦様の説かれている教えの基本スタンスは、「自分を救えるのは自分しかいない」という考え方です。

自分が苦しいと思えば苦しい世界が、自分がありがたいと思えばありがたい世界が目の前に広がるのですね。

そしてそのためには、今の自分が見える世界だけにとらわれず自分を超えた位置から、心静かに、よく目を凝らし見てみることが肝要としています。

そうすれば、苦を苦として受けとめないですむ想いが出てくるのではないでしょうか。

この「中今の生き方」は実は1300年前に脈々と生きていた考え方なのです。

小林一茶の辞世の句を紹介しましょう。

「たらいから、たらいへ移る、ちんぷんかん」

ゴーギャンは次のように言っている

「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々は何をするのか? 我々はどこへ行くのか?」

「命」を、「中今」という考え方に基づいて、依りどころを転じて考えてみると素敵な毎日がおくれるのではないでしょうか。

(参考・引用:日本橋清州クリニック:http://nk-clinic.net/m_story_no_07.html

 

 

 



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