建御名方神と建御雷之男神の勝負

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昨日は旧暦の10月10日。
出雲の地には八百万の神さまがお集まりになられました。
この一年の男女のご縁と農作物の収穫の話し合いをされています。

なぜ、出雲に八百万の神さまがお集まりになるのでしょうね?
伊勢神宮ではなくて。
なぜだろう、調べてみよう。

 

和の心 建御雷之男神

さて、国譲りの使者が二度も失敗してしまった天照大御神、このまま黙っているわけはありません。

最強の武神をつかわされます。

舞台は出雲の稲佐の浜。
大国主命の前に建御雷之男神(タケミカツチノオノカミ)が現れました。
高天原が送り込んだ三番目の使者で、強力な武神です。
建御雷之男神は剣の柄を海に刺して立て、刃の切っ先の上に胡坐をかいて大国主命に問いました。

「地上は天照大御神と高御産巣日神の命で、高天原の御子が治めることになった。国を譲りなさい」

大国主命は美保関の岬にいた事代主神(コトシロヌシノカミ)を呼び、意見をもとめました。
やってきた事代主神は献上を認めました。

でも、事代主神はその後、天の逆手を打ち、自分の船を転覆させて柴垣にかえてその中にお隠れになってしまいました。

この事代主神の天の逆手のついては、さまざまな解釈があります。
呪術的な柏手の仕方で、柴垣に籠って無言の抵抗を示したとも考えられています。
調べてみるとおもしろいですが、現代には逆手打ちすることはないようです。

大国主命と建御雷之男神が向き合う稲佐の浜に、大きな岩を指先で弄びながら国譲りに反対する大国主命の子、建御名方神(タテミナカタノカミ)がやってきました。
建御名方神は自分の方が強いと建御雷之男神に力比べを申し出ました。

まずは建御名方神が建御雷之男神の手をつかんで挑みました。
建御雷之男神は腕を氷にかえ、さらに剣に変化させたため、建御名方神は恐れをなして手を放しました。
次は建御雷之男神となりましたが、相手の手をとるなり、いとも簡単に握りつぶしてしまいました。

負けを悟った建御名方神は逃走します。
建御雷之男神は諏訪湖まで追い詰め、建御名方神を殺そうとします。
建御名方神は命乞いをし、諏訪の地から一歩も出ないことを誓います。
そして地上世界の献上も承諾しました。

この建御名方神を諏訪の地で祀るのが、分社数五千社を超える諏訪大社です。
国譲りでは敗れましたが、平安時代に東国の武神として名を高め、鎌倉時代に入ると北条氏が後ろ盾となり、武士の守護神として各地に勧請され、全国的な神社となりました。

建御雷之男神はご存知の通り雷神、かつ剣の神とされる撲の元祖ともされる神です。
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれています。
有名な鯰絵では、要石に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として描かれています。



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