国譲りのお話の最後は、もちろん「出雲大社」のお話。

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さて、大国主命のお話もそろそろ最後です。
国譲りのお話の最後は、もちろん「出雲大社」のお話。

建御雷之男神(タケミカツチノオノカミ)は諏訪から帰ってこられると、大国主命に「あなたの子供たち、事代主神(コトシロヌシノカミ)と建御名方神(タテミナカタノカミ)の二柱の神は、天つ神の御子の命令に従うと申した。あなたの心はいかに」とお尋ねになりました。

 

和の心 出雲大社 2013.11.15

大国主命は「我が子、二柱の神が申すとおりです。この葦原中国(あしはらのなかつくに)は差し上げましょう。その代り、私の住処を天つ神の御子の光り輝く御殿のように、地中深く立派な柱を立て、高天原に届くほど千木を高く立てて造ってください。そうすれば私は遠い根の国のもっと遠くに隠れていましょう。また、我が子らは八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)が統率すれば、逆らう者はございません。」とおっしゃいました。

そして、出雲国の多芸志の小浜に御殿を造りました。

この多芸志の小浜に造られた御殿が、出雲大社であるといわれています。

写真で見たことあると思いますが、「高天原に届くほど千木を高く」との願いどおり、高さ十六丈(約50m)、そこへ地上から三十六丈(約110m)もの長い階段を昇っていくという、壮大な社だったと伝えられています。

元禄元年(970年)に書かれた「口遊(くちずさみ)という本には「雲太、和二、京都三郎」という数え唄が記されています。
これは「出雲太郎、大和次郎、京都三郎」の意味で、当時の大きな建物を歌ったものです。

出雲は出雲大社、大和は奈良の東大寺の大仏殿、京都は大極殿。
東大寺の大仏殿の高さは約47m。
出雲大社は当然、少なくとも47mよりも高かったことになります。
現在の出雲大社の高さは25mといいますから、奈良時代の出雲大社はその倍の高さを誇っていたのですね。

出雲大社ですが、なんと読みますか?
「いずもたいしゃ」と読むかたが多いと思いますが、正式名称は「いずもおおやしろ」なんです。
わたし、つい最近知りました。
また、拝礼は二拝四拍手一拝の作法で拝礼するんですね。

それと、現在の宮司は84代千家さまです。
84代も代々宮司職を引き継がれているそうです。
天皇家に次いで長いのでは?
また、宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ないそうです。
(Wikipediaの出雲大社で神紋を見ることができます)
現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けています。

やっぱり出雲大社、大国主命は何かが違う。
また、近いうちに何かを感じに、出雲に行ってこよう!



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