「我」を捨てること、難しいですよね。

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「我を捨てる」、無我になる。

この世の中で、「我」そのものを捨てることってとっても難しいですね。

 

季刊誌JAPONisme(日本のこころと文化を伝える)の巻頭に「自分が、自分が」という考えを捨てる」というお話がありました。

 

仏教のもっとも基本的な教えは「無我」の教えです。

お釈迦さまは、それまでインドで力を持っていたバラモン教が固執した「我」というものを否定されました。

人間は「我」を捨てることによって救われる、そこにしか救いはない、と説かれたのです。

無我というのは、非常に傲慢な思想です。

いくら「無我がよいぞ」といわれても、私たち凡人が無我になれるわけがありません。

無我の境地に到達するというのは、つまり、さとりを開いたことになるからです。

—中略—

私たちは、「我」そのものを完全に否定することなどできません。

それどころか、ややもすると、「自分が、自分が」というエゴイズムに走りやすいものです。

世の中にあふれている悩み事というものは、この自我意識から起こってくるといっても差し支えないでしょう。

自分は真面目に精いっぱいやっているのに、まわりの人たちは自分の誠意をまったくわかってくれないとか、世間は不当な扱いをするとか、私たちの身辺には不平不満の種がたえません。

なぜならそれは、私たちが何事に対しても、常に自分を中心にして考えてしまうからです。

(「人間(ひと)は死んでもまた生き続ける」大谷暢順氏著より)

 

先日、ある方とお話をしており、その方が阿闍梨さんとお話をする機会があったので、「阿闍梨さま、修行をされてその後に人の持つ煩悩を捨て去ることができたのですか」と訪ねられたそうです。

阿闍梨さんはこう答えられました。

「煩悩を捨て去ることなどできませんでした。ただ、修行を行っても煩悩を捨てることができないということを知りました。何もせずに煩悩など捨てられないと言うよりいいでしょ」と。

素敵なお答えですね。

私も修行などしてないのに、「我」、煩悩は捨てられないと思っていますから。

そう、「我」を捨てることは難しいと思います、でも、出来ることがあります。

少しでも相手を思いやる気持ちを持つことです。

日本人は古より、八百万すべての目に見えないものまで、「ありがとうございます」と思い続けてきました。

その私たちが、もっともっと相手を思いやることでこの世の中が、もっともっと笑顔あふれる素敵な毎日をおくれるのではと思います。

相手を思いやる気持ちを大切にしたいですね。

 

それは、「我」という損得の思いではなく、「私」という何代にもおよぶご先祖さまのおかげで今がある私に感謝する心から、私を大切にする思いから、相手のこと、いえ、相手ではなく同じ私達を大切に思いやることができるのでしょうね。

 

これからとっても大切なことと思います。

「私」を大切に、そして「私達」を思いやる。

 

今日も、ありがとうございます。

この星が笑顔あふれる毎日になりますように。

 

写真は浄住寺の灯台躑躅、「どうだんつつじ」と読みます。

気持ちよさそうですね。

 



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