波佐見焼は京都でも有名。その歴史と文化について知ろう

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波佐見焼は京都でも有名。その歴史と文化について知ろう
京都の街を歩いていくと、お洒落なカフェが多くつい立ち寄りたくなります。
使われている器を見ると、かわいいマグカップやケーキ皿に心を奪われることも…。
シンプルなデザインの波佐見焼は、京都の雰囲気にも合いますし、食事に彩を与えてくれますよね。
最近ではブランド品も多くあり、若い女性を中心に人気を集めています。

実は知名度が低い波佐見焼

400年以上の歴史がある波佐見焼。
しかし、江戸時代に港の名前から「伊万里焼」、明治時代には「有田焼」として波佐見焼も呼ばれていました。
そのため、見分けがつきにくいこともあり知名度が低いとも言われています。

朝鮮へ出兵していた九州の藩主たちが、腕のいい陶工を連れて帰ってきて技術を教えてもらったことから、今に繋がる波佐見焼が生まれました。
長崎県の海がない町、波佐見町にて豊富な材料が手に入れることがわかり、焼き物と一緒に大量生産の町へと発展したのです。
それぞれが分業することで、大量生産を実現できたと言われています。

技法がないので流行りに敏感

焼き物と言えば、こだわりがあるのが特徴なのですが、決まり事がないのが波佐見焼です。
お洒落な感じが漂いますが、作り手のセンスが問われるところですよね。

1630年頃には、陶器から磁器へと生産を変えて、絵柄がつくように…。
白がメインでしたが青い色をした青磁が作られるようになり、柔らかい華やかさが見られるようになりました。
形が決まっていなかったため、大きさも幅広くあったそうです。

藍色で描かれた草木や花、文字が描かれていることが多いのですが、自由な絵柄や模様をつけることが出来るのも魅力ですね。

海外でも人気に

17世紀になると、朝鮮は内戦が起き貿易が出来ない状態に…。
オランダ商人が朝鮮の焼き物に変わる代物を…と言うことで、波佐見焼が貿易の対象として人気になりました。
食器はもちろんのこと、輸出用に酒や醤油などを入れる器として作られたのが「コンプラ瓶」です。
シンプルな容器が、輸出増加に貢献したそうです。

その後、40年間海外へ輸出され続け、日本の文化は海外へと親しまれていきました。

現在でも、コンプラ瓶は復刻版として販売されているほど、国内でレトロ雑貨としても好まれています。

くらわんか碗で庶民の食器へ…

輸出もひと段落し、国内向けの日用食器を作り始めます。
この方向転換が、現在も多く使われている身近な食器の誕生になったのです。

波佐見焼は京都、大阪間の川を行き来し食事を売る小舟から生まれた「くらわんか碗」が、庶民の心を掴んだと言われています。
「食らわんか?」と三十石船に声掛けしていたことから、「くらわんか碗」と名付けられました。
まるで、現代でいう移動販売ですよね。

船で食事や酒を楽しんだら、食べ残しの食器は回収せずにそのまま川へ捨てていたそうです。
当時は紙皿もない時代ですので、今考えると仕方がないのでしょうが、なんて勿体ないことを…と思ってしまいます。
この思い切りの良さが庶民への食器へと変えいったのかもしれません。

この時代から波佐見焼と京都との繋がりがあったのも不思議なご縁を感じます。
そして磁器は、高級過ぎて手が届かないと言うイメージから、毎日使える日用食器として認識されるようになったのです。

その後も愛され続けて…

今では当たり前のような食器類も、このように作られていたと思うと、もっと大切に使わなくては…と思いますよね。
現在も作り続けられている波佐見焼は、町のシンボルになっています。
そして、昭和53年に国の伝統的工芸品として指定されました。

くらわんか碗が存在しなかったら、今の食器文化も変わっていたかもしれませんね。

波佐見焼は、京都をはじめ全国でも知名度を広げています。
工場がまだない時代に町全体が一つになり、愛情を込めて作ってくれた器の数々。
作り手側の思いやりが、シンプルで活用しやすい丈夫な一枚に今も込められています。

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