和の心 No89 「おもひ」と「かんがへ」

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私たちは現代日本語で、「恋人のことを思う(想う)」と言ったり、「来週の旅行の計画を考える」と言ったりします。

「思う」と「考える」、二つの漢字から成る熟語が「思考」ですが、同じ「思考」でも、感情のこもった思念を心に漠然と浮かべることが「おもう」、筋道を立てて理知的に頭を働かせることが「かんがえる」

私たちは、二つの動詞をおおむねそんなふうに使い分けています。

幼年期以来の言語生活の諸場面の蓄積から、そうした使い分けを習得し、それに習熟してきたということです。

ただし、さほど区別せずに混用し、「そう思います」と言ったり「そう考えます」と言ったりもしています。

「考えます」の方がいくらか改まった感じになるといったところでしょうか。

しかし、二つの動詞それぞれの意味領野は正確にはいったいどのようなものなのか、両者はどのように食い違い、またどのように重なるのでしょうか。

そんな疑問がふと湧くことはないですか。

古語辞典にはこのように書かれています。

「おもふ」について「オモ(面)オフ(覆)の約」と説明している辞典があります。

胸のうちに様々な感情を抱いているが、「おもて」(オモ(面)テ(方向)であり、そこからオモテ(表)の意味にもなる)には出さず、じっと蓄えているというのがもともとの意味です。

共同体の公共の場面には露出しがたい、顔(おも)の裏に(裏面に)「覆われた」感情---それが「おもひ」なのです。

では、「かんがふ」はどうか。

元来は「かむがふ」、さらに遡れば「かむかふ」だそうです。

カはアリカ、スミカのカ、すなわち「所」「点」で、ムカフは両者を向き合わせるの意。

「かんがふ」とは、二つの物事を突き合わせ、その合否を調べ、ただすことなのです。

 

語源の探索は、客観的に実証されうる場合と推量や創造によるしかない場合とがあります。

「おもふ」「かんがふ」というきわめて基本的な語が長い歳月をくぐり抜ける中で蒙ってきた変容の過程に、ふと「おもひ」を致させてくれる、それをめぐって何がしか「かんがへ」をめぐらすきっかけを与えてくれるという意味です。

自分が日常何気なく用いている単純な言葉のうちに、民族の歴史の膨大な時間が孕まれていることを気づかせてくれます。

単に古典を理解するための補助ツールというにとどまらない古語辞典の愉しみが、そんなところにありますね。

 

結局、本来はまったく意味を異にする二語だったのです。

「おもひ」とはもともと内に秘め隠された思いのことで、だとすれば「何々と思います」などと今日私たちがおおっぴらに口にするのは、原義とは完全に矛盾した言葉の使い方ということになります。

それは顔の表情に表れないように抑制しつつ、心のうちにじっと堪えている不安、怨念、執念、恋情など、何かしら激しい情動を孕んだ思念でした。

他方、「かんがふ」とは、二つの物事を対峠させ、比較考量するというきわめて厳格な知性の働きを意味していました。

その働きが窮まるところ、調べただし、罰を与えるという意味を帯びるまでになりました。

 

一方は抑圧と内向、他方は判断の厳正と公共性。

相違なる強い意味をそれぞれうちに蔵した二つの動詞だったのが、千年を越える歳月の経過の中で、そのニュアンスの突出部分が磨り減り、意味作用の磁場が徐々に接近し、重なり合うようにもなってきました。

冒頭に述べたように、「思う」と「考える」の使い分けの感覚は今日まで生き延びているものの、それはかなり漠とした曖昧な印象にすぎず、原義にあったようなくっきりとした差異がわたしたちの意識にのぼることはもはないでしょう。

しかし、それをつぶさに知れば、言葉が湛えて(たたえて)いる歴史の時間の厚みに今さらのように目を開かずにはいれません。

かくして、小倉百人一首に採られている権中納言敦忠の歌「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」に秘められた情念の激しさに、改めて心を深く動かされることにもなります。

(文参考:松浦寿輝(まつうらひさき)・国語教室より)

 

さて、権中納言敦忠の歌「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」

現代語にすると、「恋しい人とついに逢瀬を遂げてみた後の恋しい気持ちに比べたら、昔の想いなど、無いに等しいほどのものだったのだなあ。」となります。

激しい思慕の情を歌った歌です。
しかも、何か現代人の心を揺り動かす、共感を感じたくなる歌ですね。
時代は1000年違っても昔も今も男女の感情は同じもの。
一途な激情を感じさせる名歌が多いのも、百人一首が皆に好まれる一因かもしれません。

でも言葉の本質は変わってしまったものが多いですね。

 

写真は京都・無鄰菴、東山とお庭を一体化してつくったそうです。

無鄰菴のお茶室、お抹茶とお煎茶のお部屋があります。

琵琶湖上水から引き込んだせせらぎの音がゆったりとさせてくれる素敵なお部屋で、私は何を思い、何を考えていたのだろうか。

ありがとうございます。

 



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