今一度知りたい、日本人とお茶の歴史03『失われた醍醐の茶畑を求めて』

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「葉室茶」の復興を目指す中で、同時代に有名だった各茶園を探究する。
今回は、醍醐にあったとされる茶園。

「醍醐駅」(京都市市営地下鉄東西線 )界隈にある、京都市営団地。
この付近から、醍醐廃寺なる遺跡が発掘されている。
東方の醍醐寺との関係性は明らかではないが、子院ではないかと見られている。

団地の南端部分にひっそりと鎮座する、「八所大明神」。
おそらくは疫神牛頭天王の子・八王子を祀ったものであろう。
この地は「御霊山」と呼ばれ、御霊会等、神霊の祟りを恐れた信仰の地だと考えられる。
京都市の資料には、八所大明神周囲にかつて茶畑があったと記されており、醍醐の茶畑の名残だと推測している。

御霊山から北方へ、中山、上ノ山と丘陵が続き、団地の住居建築が立ち並ぶ。
ところどころに竹藪が生い茂って残り、みっつの山がひとつの巨大な古墳だったことをイメージさせる。
醍醐廃寺とは、この巨大な古墳らしき丘陵に建立された一大古代寺院なのかもしれない。

山寺、あるいは古墳と茶畑の親和性は、現存する茶畑を観察するだけでもわかる。
親和性の原因は不明だが、古墳を再利用、あるいは活用して寺院が建てられ、寺院における生産活動の一環として茶畑が営まれた、という一連の流れが想像できる。
醍醐の茶畑は、寺院跡も茶畑もわからなくなってしまったために、最早復興の手がかりもつかめなくなっている。
しかし、この近辺で収穫された茶葉は、葉室茶と同様に中世の上流階級によって愛されていたことは史料に遺されている。
市営団地が建設される遥か昔、丘陵の藪と寺社、そして茶園の風景を頭に描きながら、想いを馳せる。

(続く)

 

記事担当 山口隆太 京都で煎茶道に学ぶ「お煎茶メタラー」。 Metalから仏教にハマって以来、有名寺社の特別公開や、僧侶の活動に携わり続ける。 人間の存在意義が問われるこれからの時代に備えるべく、日本文化や神仏が教える心を、煎茶道などの文化遺産を活用しながら伝えている。 MAIL: yasseyaseyase@gmail.com WEB: http://yasseyaseyase.wixsite.com/kurogane



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