「夢の世界は現(うつつ)の世界」

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こんにちは。

八百万、目に見えないものまでにも「ありがとう」と思える和の心が、この星をいつも笑顔あふれる幸せな毎日にすると信じている葉室です。

今日は先日の「寝言に返事をしてはだめ」のお話しの続き、「夢の世界は現(うつつ)の世界」です。

 

古来、日本人は夢の世界は現(うつつ)の世界とは別の異界であると考えていました。

しかも夢でみたこと、すなわち夢の世界の出来事は、現実の世界で起こる出来事と何らかの関係があると信じていました。

夢を神仏からのお告げと受け止めていました。

実際、歴史上の大きな出来事の中には、夢のお告げによって起きたものが意外に多いことに気がつきます。

それが宗教的なものであれ、政治的なものであれ、文学的なものであれ、いずれも夢にちなんで大きく歴史が動いた事例は数多いです。

 

夢のお告げ

たとえば「古事記」中巻には、苦戦する神武天皇たちを助けるため、神々が高天原から太刀を降ろそうと語り合う夢を、熊野の高倉下(たかくらじ)が見るくだりがあります。

そして、倉の棟に穴を開け太刀を落とし入れる、という夢告どおり、翌朝、高倉下は倉の中に太刀を見出すことになります。

このような記紀神話における「夢告(ゆめつげ)」をはじめ、平安貴族たちの「夢合わせ」、陰陽師の「夢解き」、武士や戦国武将、出家者たちの「夢信仰」など。

かつて重要な人生の選択においては、夢がそれを決定する立派な根拠になっていたといえます。

否、むしろ夢のお告げを契機として、夢を社会的に実現してきたのです。

「夢でみたことは本当だった」などというような受身的発想ではなく、夢で見たことをむしろ錦の御旗とし、社会的行動として実現してみせるのです。

これを一説に「夢の社会化」といいますが、こうした夢による社会的実現化がひろく成り立ってきたのも「夢は神仏のご意志なのだ」という認識が背景にあったからです。

夢字体、神仏が直接言語で意志を伝え、指示を与えたものだから、夢解きをする必要もそこにはなかったのです。

それほどまでに寝ているあいだに見る夢は、絶対的かつ神聖な存在と考えられてきました。

 

現実の世界での夢も大切に

みなさまは夢をよく見ますか?

夢は正夢、現実に起こったことありましたか。

夢は神仏のご意志と思ってますか。

日々思ってること、どうしようかなと思っていること、こうなりたいなと思ってること。

それぞれにお告げではないですが、夢野中で現実のように進んでいくときがあります。

そして現実の世界でも、夢の続きのように進んでいく時。

はっと我に変えって、びっくりすることないですか。

夢は現代の科学でも解明できない一つ。

でも、人の思いはとても大きな力を持っていると思います。

この思いを夢と言ってきたと思います。

寝ているときの夢だけでなく、現実の世界での夢、それぞれきっと自分の思いの中から生まれてくるもの。

いい夢を見るのも、悪い夢を見るのも自分の思い一つ。

どうせ見るなら、いつもありがとうの気持ちを大切にしながら、みんなと共に笑顔あふれる毎日をすごしている夢を見たいものです。

 

今日もありがとうございます。

参考:本:知れば恐ろしい 日本人の風習:千葉公慈著

 



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