平安神宮 「随神の道」

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「随神の道」

 

先日の京都、細かい雪が舞い散る寒い日、午前中の仕事の約束の前に平安神宮を訪れました。

「平安神宮」 もうご存知のとおり、平安京創始の桓武天皇と最後の孝明天皇をお祀りし、日本文化の祖神様として、京都市民はもとより、広く国民に崇敬されている神社です。

その平安神宮のHPを見ていたら素敵なお話がありましたので、ここでご紹介させてください。

 

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「かんながら【随神・惟神】」とは、日本人が歴史のなかで育んできた文化と暮らしに根付いた感性をよくあらわす言葉です。

神道のことを「随神の道」ともいいますが、「神々とともに」「神のご意志のままに」という意味で、日常生活を送るわたしたちの根っことなる感覚を表しています。

日本人の信仰の紀元は、遺蹟の祭祀跡などからすでに縄文時代には見ることができます。

その長きにわたって培ってきた信仰は、荘厳な山々や大海原の彼方にご先祖たちの世界や神々の世界を見て、深く豊かな森の木々、苔むす岩々には神の力を感じ、こずえを渡る風に何かの知らせを聞く、という感覚そのものです。

「八百萬(やおよろず)の神々」といいますが、これは「日本には数え切れぬほどの神様がいらっしゃる」ということを表していて、営み続ける生命の姿や自然の恵をもたらす何かの力、ご先祖様の御霊に神の存在を見てきたのです。つまり「祖先崇拝」と「自然への畏敬」という信仰が芯にあるのです。

人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。

しかしその姿を保つには相当の努力が必要です。

心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。

本来の人としての姿にもどることを願う。これこそが神道の祈りです。

神道では、具体的な教えを言葉や文章として遺していませんが、日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきています。

「神のご意志のまま」に、「神の意に背かない」生活を常に心がけること。

「教えられたことを忠実に守る」のではなくて「おのずから神の意志というものを推し量って生きる」信仰が「かんながら」なのです。

「かんながら」の信仰を持ち、信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。

 

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現代において、「神道」という言葉を発すると、宗教家や右翼的に思われがちですが、日本の古来より、日本人は「神道」の心で過ごしてきたと思います。

「神道」とは、「茶道」や「華道」「柔道」と同じように、日本人としての作法をいってるのだと、私は思います。

その作法とは、あらゆる人・事・物・時に「感謝」の気持ちを常に持ち続けることではないでしょうか。

私は、そう思います。

 

 



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