「ち」ということばには、体のほかの名称とは異なる意味深さがあります。

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今日は「ち ちち」
「ち」ということばには、体のほかの名称とは異なる意味深さがあります。

木曜日は私の大好きな、中西進さんのひらがなのお話。

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私たちの体の中には、血が流れています。
血がなければ生きていられない。
ですから、「ち」ということばには、体のほかの名称とは異なる意味深さがあります。

そもそも「ち」とは、不思議な、そして力あるものを指すことばでした。
ほかのことばに置き換えるうならば、霊格といったような存在です。

たとえば雷のことを「いかづち(いかずち)」といいますが、これは「いか(巌)」+「づ(の)」+「ち(霊格)」です。
それから大蛇のことを「おろち」といいます。
この「ち」も、蛇に宿る不思議な力を意味します。
そして、私たちの身近にある「ち」が父です。
恐ろしく力のある存在、それが「ちち」でした。

また、生けるものの体内をかけめぐる血は、不思議な力の最たるものでした。
この「ち」に、「からだ」の「から」、つまり「そのもの」という意味を持つ「から」を結合させたことばが「ちから(力)」です。
血は、まさしく生きるパワーであり、そこから古代人はパワーそのものを「ちから」とよびました。
じつに自然科学的で、論理的な認識ではありませんか。

先ほど「いかづち」の「ち」について触れましたが、「古事記」に、火の神様カグツチを斬り殺したら、剣の先から血が飛び散って、雷になったという話があります。
「かぐつち」は、輝かしい霊格を意味します。
やはり雷は血そのもので、夜空を走る稲光は、天にほとばしる血なのでしょう。

 

和の心 稲光

 

それから乳も「ち」といいました。
「ち」が二つ並ぶと「ちち」となります。
母乳はまさしく生命を育てるもの。
これに血と同じことばが与えられたことに、感動を覚えます。

「たらちねの母」といいます。
「たらちねの」は母の修飾語ですが、「たら」というのは「充足をしている」という意味。
満ち足りたものが「たる(足る)」です。
さらに「ね」は、不動なるもの、動くべからざるもの。
木の根も山の嶺も「ね」です。
ですから、充足したお乳をもっている不動なるもの、それが「たらちね」。
母というのは、まわりが何といおうと、でーんとしていないとだめなんですね。

「ち」という一音のことばで、血も父も、力も乳も理解できます。
日本語というのは、すごいことばだと、私は思うのです。

(文:日本語の不思議・中西進)
(写真:荒井良作品)

和の素敵 https://wanosuteki.jp/



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