和の教え「積善の家に余慶あり」

 

 

和の教え「積善の家に余慶あり」

one’s good deeds shall be repaid even to one’s descendants.

 

 

「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」

 

毎日、いかがお過ごしでしょうか。
自然としたしみましたか、 その恩恵に感謝しましたか?

 

 

 

さて、和の教えの一つとして、叔父は、「積善の家には必ず余慶あり」と言われています。

 

「積善」とは、世の中の幸せのため、人の幸せのために、一生懸命に働くこと。
「余慶」とは、神様のご加護があること。

 

つまり、「積善」を積む人の家には、必ず、「余慶」が現れるということです。

 

自分の我欲ばかりで生きていると逆に、いつとはなしに、滅びてしまいます。
その時になって、いくら理屈をこねたところで始まりません。

 

世の中は、そのようになっているのです。
神様のお導きにしたがって生きた人だけが、続いていくのですね。

 

名古屋にあるお医者さんから聞いた話です。

 

その方のお父さんは明治時代からお医者さんをやっていて、
一生懸命、村の人たちの健康に気を配っていました。
村の人がお金を払えなかったら、もらわない時代もありました。

 

昔は盆とか暮れに、お百姓さんがお米や野菜を届けてくれて、
それで生活しているお医者さんもいましたが、その人も、自分の利益なんて考えずにやっていたので、あまり儲からない。

 

家も裕福というほどではなかったそうです。

 

それでも患者さんが、お金が入り用だから山を買ってくれないかと相談に来たら、何の値打もないような雑木林の山を、貯金をはたいて買い取って、ますます貧乏になってしまうような人でした。

 

やがて、そのお医者さんは亡くなります。
息子さんが後を継ぎました。

 

ある時台風が来て、その雑木林の山が崩れてしまいました。
すると、土の下に貴重な鉱石がたくさん埋蔵されているのが見つかりました。

 

まさに、宝の山で、すごい財産を残していたのです。
お医者さんは死ぬまでそのことを知らなかったけれど、息子さんは巨万の富を得ることができました。

 

そういうことが、実際にあるのですね。

 

おとぎ話で、花咲か爺というのがあります。
正直で人のために一生懸命やっていると、犬が、ここ惚れワンワンといって、宝が見つかります。

 

あれは、本当だと思いますね。

 

まさに、 「積善」の家には必ず「余慶」ありですね。

 

如何ですか、みなさん。
自我をなくして、人のために尽くす。
簡単そうで、とても難しいことですよね。

 

やはり人間だれしも、自分自分となってしまいます。
でも、自分は最後、まずはみなさんが喜んでくれたらって思って、みんなが過ごしていけたら、すばらしい日本の国になるでしょうね。
(もちろん、自分磨きはいつもしていかないと)

 

少しづつから、出来ることから、今から、行ってみませんか。
いつもいつも、本当にありがとうございます。