「狩野派とは何か?」

 

 

「狩野派とは何か?」



400年の歴史を歩んだ、巨大流派の秘密!



狩野派と聞くと、まず金ピカ屏風や障壁画をイメージする人が多いのではないでしょうか。
確かに彼らの主な仕事は、御殿や寺院の障壁画を描くことでした。


 

 



しかしそれだけではなく、狩野派は室町時代から江戸時代末まで、延々と日本美術業界に君臨してきました。
権力者が代わっても長く御用絵師として続いたのは、彼らが血縁関係で結ばれた集団で、混乱期にも時代を読む優れたリーダーがいたからです。



そもそも狩野派は足利幕府の御用絵師に取り立てられた正信に始まります。
正信は中国からもたらされた水墨画を学び、将軍義政や禅寺の注文に応じて、お好みの画家のスタイルで絵を描きました。
正信を継いで公家や有力な町衆など新しい顧客層を開拓し、絵師集団をつくりあげたのが長男の元信。
以降、代々世襲で、狩野宗家を親族たちがもり立てていきます。



豊臣・徳川の政権交代期には、一族の有力者を豊臣家・徳川家・朝廷それぞれに送り込むという「三面作戦」をとって生き残りを図ります。
政権を徳川がとると、本拠地を京都から江戸に移し、奥絵師四家を中心として組織を結成。
さらに狩野派を学んだ絵師たちが全国各藩のお抱えとなり、一大コンツェルンを築きあげたのです。
(文:「和楽」2007年9月号)



いつの時代でも一緒ですね。


「生き残り」のために知恵をしぼり、一族全員が力を合わせる。
とてもとても大変なことだったと思いますが、その生き残りへの力が、作品にも現れてくるのでしょうね。
明日も狩野派を学んでみます。


(絵:老松小禽図屏風/伝狩野元信(狩野派祖)