「狩野派二代目 元信」 浄住寺 雲龍図より

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こんにちは。

 

八百万、目に見えないものまでにも「ありがとう」と思える和の心が、この星をいつも笑顔あふれる幸せな毎日にすると思っている葉室です。

こんにちは、みなさんもご存知、浄住寺の方丈に置かれている狩野永岳の雲竜図について。

でも、その前に「狩野派とは何か?」

400年の歴史を歩んだ、巨大流派の秘密!

それでは狩野派第二段をお楽しみください。

第一段は「狩野派とは何か?」をご覧ください。

 

 

「狩野派二代目 元信」

日本絵画史上最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで、約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団である狩野派。

 

 

二代目の元信は、幅広い層のニーズにこたえるため、工房としての絵のスタイルを確立してきました。

真・行・草の三様式を定め、弟子たちに学ばせることで、絵を受注するシステムをつくりあげました。

さらに中国の水墨画にならった「漢画」様式に、伝統的な日本の「やまと絵」の要素を取り入れていきました。

漢画は筆の輪郭を重視し淡彩。

やまと絵は細い輪郭線に、濃く絵の具を塗ります。

この狩野派スタイルを徹底させるために用いられたのが手本となる「粉本(ふきほん)」です。

粉本とは絵師が制作の参考にするための古画の模写や写生帖の総称。

従来は、このお手本写しのために狩野派はつまらない、といわれてきましたが、運筆(筆の使い方)に始まり、長く模写を課す狩野派の教育システムは、絵師の基礎訓練として重要な役割を果たしたのも事実です。

絵師にとって、粉本を多く持つことは制作の源になりました。

なぜなら、注文があると、粉本を参考にモチーフを組み合わせたり抜き出したりして絵を完成させることができたからです。

また、粉本があるからこそ、多くの弟子を養育することができました。

そして、高まる需要にこたえて全国に絵を提供することができたのです。

(文:「和楽」2007年9月号)

 

 

ありがとうございます

 

すごいですね、室町時代に粉本の写生技術を基本にした、システマチックな教育システムを持っていたなんて。

守破離、先ずは、型を徹底的の覚えることをよしと古来より教えてきました。

粉本の写生もそうですね。

海外の美術館へ行くと、画家志望の若者たちが著名なる絵の前でそれこそスケッチを繰り返しています。

いつの世でもどこでも基本が何よりも大切と言うことですね。

今の教育は・・・

日本語の読み書きもろくに出来ないのに英語のお勉強・・・

先ずはしっかりと足元を固めたいものです。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

これからも宜しくお願いいたします。

(旧文2013年8月13日:再編)

第一段は「狩野派とは何か?」をご覧ください

 



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