「狩野派 天才・永徳現れる」 浄住寺 雲龍図より

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こんにちは。

 

八百万、目に見えないものまでにも「ありがとう」と思える和の心。

「ありがとう」という言葉が、この星をいつも笑顔あふれる幸せな毎日にすると思いませんか。

 

みなさんもご存知、浄住寺の方丈に置かれている狩野永岳の雲龍図について。

でも、その前に「狩野派とは何か?」

400年の歴史を歩んだ、巨大流派の秘密!

それでは狩野派第三話をお楽しみください。

(第一段は「狩野派とは何か?」をご覧ください)

 

狩野派 天才・永徳現れる

 

400年にも亘る狩野派の歴史の中で、抜きんでた才能を発揮した絵師といえば、四代目・狩野永徳をおいてほかには考えられません。

その永徳が、若干24歳という若さで筆を揮った京都・聚光院の障壁画「唐獅子図屏風は、現存作品が極端に少ない彼の作品を、唯一当時のままに鑑賞できた奇跡の空間です。

その天才ぶりを如実に物語るたいへん貴重な作品なのです。

 

 

聚光院の襖絵は、狩野派の序列からすれば、まったく例外的な構成となっています。

禅宗寺院は基本的に六室構成。

その中央にある室内と、スポンサー、つまり三好家をもてなすための旦那の間を、二十四歳の永徳が描くのです。

その脇を固める形で、父である松栄が礼の間他を描く。

松栄の絵は、いかにもおとなしい作風。

自分は控えて、息子に才能に賭けようという気持ちだったのではないでしょうか。

二十四歳の彼はこの「永徳参上」を描き、さらにその直前には、上杉「洛中洛外図」も描いていました。

大胆な水墨画も、ディテールをうならせる細密なやまと絵風の絵も描ける。

まさにオールマイティーな画家として、彼は狩野派の屋台骨を背負うことになりました。

 

ありがとうございます。

 

唐獅子の起源は、なんと古代オリエント文明まで遡ります。

エジプトではスフィンクス、シルクロードを横断して中国に伝わったのが唐獅子。

中国から朝鮮半島を経由し日本に伝わったのが狛犬、中国から沖縄に伝わったのがシーサーです。

中国で唐獅子は、縁起物そして権力や実力を表す力強いシンボルとしての意味を持っていました。

永徳が画いた唐獅子は、一歩前へと今にも絵の中から飛び出してきそうな躍動感があり、堂々とした気品も印象的です。

特に有名な「唐獅子図屏風」だけは国宝に指定されていません。

なぜでしょうか。

その秘密は、所有者にありました。

唐獅子図屏風は、皇室の私有物となっていて、国宝や重要文化財の保護対象ではないことから、国宝に指定されていません。

ちょっと残念な気持ちもありますが、宮内庁がしっかり管理をしてくれると思えばすごく安心ですね。

参考:れきし上の人物.com

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

これからも浄住寺ともども、宜しくお願いいたします。

(旧文 2013.08.21:再編集)

 



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