「狩野派 天才・永徳現れる」

 

 

「狩野派 天才・永徳現れる」



400年にも亘る狩野派の歴史の中で、抜きんでた才能を発揮した絵師といえば、四代目・狩野永徳をおいてほかには考えられません。



その永徳が、若干24歳という若さで筆を揮った京都・聚光院の障壁画は、現存作品が極端に少ない彼の作品を、唯一当時のままに鑑賞できた奇跡の空間です。



その天才ぶりを如実に物語るたいへん貴重な作品なのです。


 


聚光院の襖絵は、狩野派の序列からすれば、まったく例外的な構成となっています。


禅宗寺院は基本的に六室構成。
その中央にある室内と、スポンサー、つまり三好家をもてなすための旦那の間を、二十四歳の永徳が描くのです。
その脇を固める形で、父である松栄が礼の間他を描く。


松栄の絵は、いかにもおとなしい作風。
自分は控えて、息子に才能に賭けようという気持ちだったのではないでしょうか。



二十四歳の彼はこの「永徳参上」を描き、さらにその直前には、上杉「洛中洛外図」も描いていました。
大胆な水墨画も、ディテールをうならせる細密なやまと絵風の絵も描ける。
まさにオールマイティーな画家として、彼は狩野派の屋台骨を背負うことになりました。