「時代の寵児 狩野永徳」

 

 

「時代の寵児 狩野永徳」



狩野永徳は、一瞬の光芒のような人生を送った人だったと思います。



彼が生まれたのは、天文十二年(1543)。
後に御用を勤めることになる信長より九歳年下、秀吉より六歳年下。
この二人の「天下人」にとって、永徳は弟のような存在だったのでしょう。


 

 



永徳九年(1566)二十四歳で聚光院の襖絵を描いたとき、まさに「永徳参上!」
この聚光院の襖絵は、極端に言えば、1980年代のニューヨークのグラフィティ、あるいは、日本の暴走族がスプレーで書いた、極めつけに美しいロゴのようなものだった。



そう永徳はサラブレットの暴走族なのでした。



そんな気風は、当然、信長や秀吉に愛されることになります。
彼らもある意味、暴走族だったから。


聚光院は、三好家を檀那とする塔頭ですが、そこに描いた永徳の絵の評判を、後の天下人は当然聞きつけたことでしょう。
「あんな絵、俺のところにも描いてくれよ」みたいなことになって、永徳は当時のメディアの寵児となったのですね。