「作法」 理由がわかれば、あらゆる場に役に立ちます。

 

 

「作法」 理由がわかれば、あらゆる場に役に立ちます。

 

和の心 2014030602

 



作法は決して堅苦しいものではありません。
堅苦しく思うのは、作法の理由が理解されていないからです。

昨日の続きです。
小笠原流継承者の小笠原敬承斎さんのご本より。

何事によらず、ものごとは理由がわかれば応用が利きます。
しかし、理由がわからないままに知識のみを積み上げて一辺倒な答えを出してしまうと、一瞬の判断ミスから知識の山は崩れ落ち、作法を身につけた意味がなくなることすらあるでしょう。

作法の理由を理解すると実生活のあらゆる場面で役立てることができるのです。
なぜその作法ができあがったのかという背景すべてに「こころ」が存在するからこそ応用が利くわけです。

たとえば、食事の最中に器を置くとき、必ず器の底を一点テーブルにつけてから全体をつける。
すなわち、ものを置くときには二段構えでするものなのです。

なんで?

器を勢いよくテーブルの上に置くと「トン」と音がなり、いっぺんに置いたら音がします。
音がすると周りの人に余計な気遣いをさせることにもなるし。何よりも煩わしい。
また、器は割れる可能性があるのだから、丁寧に扱わないと周りの人に危険を及ぼしかねません。

どちらも当たり前のことですが、こうした意識が温かい雰囲気をつくるものです。

また、昔から「六日の菖蒲、十日の菊」といわれる理由に日本人らしさを感じることができます。

たとえば紅葉が盛りになる頃に、紅葉の着物は用いません。
自然の壮大さや美しさに勝てるわけがないという控えめな思いがあるからです。
本物の紅葉と勝負するのではなく、紅葉の時期よりも前にそのような図柄の着物を着て楽しむわけです。

それぞれの季節のピークではなく、季節と季節の移ろいを好む慎ましい所こそ「日本人らしさ」といえるのかもしれません。

また、花を飾るときには一日でも決まった日を外れることは縁起のうえから好ましくないという考えもあります。
そのため、五月五日の端午の節句を過ぎたあとの創部、九月九日の重陽の節句を過ぎたあとの菊は飾ることがないのです。

すべての振る舞いやこころ遣いには理由があります。
あえてことばや行動で自分の思いを直接的に表現しないこともありますが、それも作法の一つです。

作法には相手や周りの人たちへの思い、こころがいっぱいありますね。
相手にこころを傾けることによって、自然と作法がみにつくのでしょうね。

今日は啓蟄。
人だけでなく自然すべてへの思いやるこころ、これが日本人のこころですよね。
ありがとうございますって。