自然を大切にするこころ

 

 

自然を大切にするこころ

 

和の心 20140314

 



日本が律令国家となったのは、600年代。
この頃に、日本はようやく天皇が人民と土地を納めるという、中央集権国家となってきます。
律令国家となった日本では、天皇が各地域の名前を改めました。

たとえば、長野県の旧名である「信濃」。信濃は、もともと「段野(しなの)」と書かれていました。
山あいの狭い土地を耕し、段々畑しかつくれなかったことから、「段野」と記されていたのです。
これに対して天皇は、「信じることに、濃やかな人が住む土地」という意味をこめて、この地域を「信濃」と名ずけたのです。

三重県の「志摩」地方も、入江がたくさんある地域いうことで、もともとは「島」と書きあらわせれていた地域でした。
これを、そのような即物的な名前はやめましょう、ということで、「志」を「摩く」という意味のある「志摩」と改名させました。
この場合ももちろん、「志高く、自らを摩く人々が住む土地」という意味をこめたことは言うまでもありません。

ゆたかな自然と、そこに住むこころゆたかな人々。
そして、自然と人々との素晴らしい共存関係。これこそが、当時の人々のこれからの国づくりの財産であり、目標でした。

別言すれば、これからはこういう国であってほしいという願いを、地名を改める際に込めたということであり、そうした生活が何よりも貴重だと考える自覚意志が、このときすでにできあがっていたということになります。

このようなことが、600年代にすでにおこなわれていたのです。
ところが現代では、日本中どこ行っても、若葉台や緑ヶ丘があります。
今の日本は、そんな味気ない国になってしまいました。
そうではなく、自然と共に生きる感覚、そうした感覚こそが、本当の「和のこころ」のはずです。

そう考えると、自然を破壊し、自然を顧みなくなっている現代の私たちは、もはや和人とは言えなくなっている。
昨今注目されている「和のくらし」や「和の味わい」といったものは、本来の「和のこころ」からは、かなり隔たっています。
むしろ、欧米人の視点からの日本再発見といった印象があり、ここが心配でもあるのです。

(文:禅のこころ 和のこころ・篠田暢之)