第三回中村翫雀さんに聞く、歌舞伎の楽しみ方


歌舞伎はダイナミックで
エンターテイメント豊かな娯楽である

終戦後の歌舞伎
GHQの民主主義政策のとばっちりが歌舞伎にも

今西 明治のはじめ頃に混乱と言ってもいい変化があった歌舞伎は、太平洋戦争終戦後にまたまた大きな変化があったのですよね。

翫雀 戦争時は、軍国主義でしたから当然のように演目の制限があったし、そもそも戦争で亡くなる役者も少なくなかったから、歌舞伎自体がどうなるかわからなかったのです。

今西 そして戦後ですが、GHQ は軍国主義化を払拭し、日本を民主化しようとした政策を打ち出してきたでしょう。その影響は歌舞伎にもあったと聞きますが。

15代市村羽左衛門翫雀 まず「仇討ち物」はだめでした。「身分社会を肯定する」の演目の上演も禁止。そうなると歌舞伎自体が成立しないでしょう。でも、さすがというか、GHQにも日本をわかる人物がいたんですよ。マッカーサーの副官バワーズさん。歌舞伎は日本独自の文化の背景がなくては成りたたないと言うことで、古典的な演目の制限が解除され、昭和22年(1947年)11月、東京劇場で東西役者総出演による『仮名手本忠臣蔵』の通し興行が行われました。『仮名手本忠臣蔵』って、各段は道行きや親子物の泣かせる話があるけど、全段を通じて言えば「仇討ち物」でしょう。それが解禁されたというのは大きかったですね。

 

今西 GHQに制限されていた演目が演じられるようになったことで、歌舞伎が蘇った。ということは、現代の歌舞伎を私たちが愉しめるのもパワーズさんのおかげと言っても過言じゃないですね。歌舞伎の演目が解禁されたことで歌舞伎以外の演劇や演芸も制限されていた演目を演じられるようになった。これもパワーズさんのおかげですね。
そのバワーズさんですが、4か月後、マッカーサーの副官として厚木に降り立ったとき、日本の新聞記者に向かって真っ先に尋ねたのが「羽左衛門はどうしていますか?」という質問だったという話が残っています。彼は以前から歌舞伎を観ていて、その素晴らしさをよくわかっていたのですね。ところでパワーズさんにこう言わせた「羽左衛門」というのはどういう歌舞伎役者だったのですか?

翫雀 資料を見ると、当時、2代目羽左衛門は「江戸の風俗の代名詞」とまでいわれ、その日本人離れした顔つきから圧倒的な存在感を持った人気歌舞伎役者だで、「女に生まれて、市村に惚れざるは女にあらず」という言葉も生まれ、海外のファンも少なくなかったようですね。

今西 歌舞伎の海外公演はけっこう早くおこなわれていたようですね。海外公演を観た人たち、パワーズさんもそうですが、芸術家や有名人の中には少なからず歌舞伎ファンがいたのですね。この話はいろいろとおもしろいトピックがあるので「歌舞伎の海外公演」として別の機会にお話をしたいとおもいます。

翫雀 浮世絵がフランス印象派にさまざまな影響を与えたように、歌舞伎も海外の芸術分野に影響を与えていたようです。
たとえば映画にクローズアップという手法があるでしょう。一説には、あれは歌舞伎の「見得を切る」演技が影響を与えたと言われています。こんな話も次回のお楽しみということにしましょう。

今西 さて、ようやく現代にきました(笑)。ここまで、明治から昭和にいたる大きな変化の中で歌舞伎は、ある意味で翻弄されたのだけど、しっかりと伝統を受け継いできました。

翫雀 一番大きな影響は娯楽の多様化でしょうね。なんだかんだ言っても歌舞伎は娯楽の中心でした。ところが、映画産業が出現し、そのうちテレビ放送も始まる。歌舞伎役者の映画界入りやテレビ出演が始まりだしたのです。

今西 昭和30年代前後ですね。プロ野球やプロレスの人気が出だした頃ですね。

昭和40年代から歌舞伎新世紀へ

初代中村雁次郎 翫雀 でも、ここでも歌舞伎はV字回復します(笑)。十一代目市川團十郎の襲名があったり、二代目中村鴈治郎、十七代目中村勘三郎、六代目中村歌右衛門、二代目尾上松緑、七代目尾上梅幸、八代目松本幸四郎、十三代目片岡仁左衛門、十七代目市村羽左衛門などの役者が活躍します。

松竹座今西 昭和40年(1965年)に芸能としての歌舞伎が重要無形文化財に指定され(保持者として伝統歌舞伎保存会の構成員を総合認定)、国立劇場が開場し、復活狂言の通し上演などの興行が成功しますね。その後大阪には映画館を改装した大阪松竹座、福岡には博多座が開場し歌舞伎の興行を定期的におこなわれるようになってきます。

翫雀 歌舞伎役者としては、各地に常設劇場がいくつもあるというのはうれしいことです。

今西 私の印象なのですが、歌舞伎を観たことがないという人が注目したひとつに、二代目市川猿翁さんが三代目市川猿之助のときに公演していたスーパー歌舞伎があるように思うのですが。

翫雀 明治以降は疎まれていた「ケレン」を復活させたのが三代目市川猿之助です。彼は古典劇を「復活」したり「再創造」したり、復活狂言を精力的に上演し、さらに演劇形式としての歌舞伎を模索し、スーパー歌舞伎というより大胆な演出を強調した歌舞伎を創り出したのです。

今西 2012年にお亡くなりになった十八代目中村勘三郎も、伝統歌舞伎に新しい風を吹き込もうと、いろんなことにチャレンジされていましたよね。

翫雀 コクーン歌舞伎や平成中村座の公演などですね。パリ公演も大好評だったことも記憶に新しいです。

上方歌舞伎の復活

今西 昭和の歌舞伎役者で忘れてはならないのひとりが四代目坂田藤十郎さんです。翫雀さんのお父様ですね。私などは坂田藤十郎さんというよりも中村扇雀さんの呼び方の方が、いまだに馴染みがあります(笑)

翫雀 関西に戻ると、まだ「扇雀は~ん」ですからね(笑)

今西 上方歌舞伎の復興プロジェクトに大きな役割を担われていますよね。

翫雀 近松門左衛門作品を原点から勉強し直す目的もある劇団「近松座」も結成しましたし。

今西 こういったいろんな動きをみせる歌舞伎ですが、そこに現代劇の作家や演出家も参入してきますね。

翫雀 蜷川幸雄さんや野田秀樹さんですね。彼らが演出するということでマスコミだけではなく、一般に方々も注目するから、歌舞伎界にとってはとてもいいことだと思います。

今西 歌舞伎の歴史を追ってきましたが、それでわかったのは「歌舞伎はいつも新しい」ということでした。その時代が求める表現や演出をいつも模索し、取り入れて歌舞伎を改革してきたと思います。

翫雀 当たり前なのですが、現代の歌舞伎公演をおこなう劇場は、江戸時代のそれと同じではないでしょう。その中で、長い伝統を持つ歌舞伎の演劇様式を核に据えながら、現代的な演劇として上演していく試みが続いていると思います。

今西 つねに伝統を創造しているから、歌舞伎はおもしろいのですよね。

(注) 歌舞伎は、ユネスコ無形文化遺産保護条約の発効以前の2005年(平成17年)に「傑作の宣言」がなされ、「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、世界無形遺産に登録されることが事実上確定していたが、2009年(平成21年)9月の第1回登録で正式に登録されました。

(次回は、「歌舞伎の海外公演」です)