守破離って。

 

 

守破離って。

 

先日の「きものの着方」で守破離と書いたのですが、守破離とは。

わび茶を完成した千利休(1522-1591)の教えを、和歌の形式にまとめた「利休道歌」 (りきゅうどうか) のひとつに、「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」、と言う歌があります。

 

 

和の心 20140515

 



「教えを守り続けながらも、いつしかそれを打破り離れていく事も大切であるが、そこにある基本精神は忘れてはならない」 と述べたものです。



特に師弟関係を重んじる芸道や武道の世界では、稽古や修行の段階を表現するものとして、「守・破・離」という言葉がよく使われていますが、それはこの歌の中にある三文字を引用したものだと言われています。

まず最初の「守」の段階は、その道を究めるにあたって、ひたすら師の教えに従い、流儀を守りつつ、繰り返し学ぶことで、基本を身に付ける段階だと言われています。
発想の土台を築く段階だと言えます。

続く「破」の段階は、今まで学んだ概念を打ち破り、試行錯誤しながら独創性を見出す段階であると言われます。

そして最後の「離」の段階では、様々な経験を積み重ねていく中で、いつしか従来の型から脱して、独自のセオリーを発見し、いよいよ師の下を離れる時期だと言われます。
およそ「道」と名の付くものを生業(なりわい)とする者は、ここに至って初めてプロフェッショナルの領域に達すると言われます。 

ところで、無心に厳しい修行を重ねる者は、「離」の段階を迎え、苦労の末に自ら掲げたゴールにたどり着いた時、先の目標を失い達成感と共に失望感にさいなまれる事がよくあると聞きます。

それでも、何事も上には上があるもので、手にしたものを糧(かて)として、さらなる上を目指すのは尊い事です。
「守・破・離」には限りがなく、それは繰り返すことでより大きなものに発展していくとも言われます。

「守・破・離」の最後にある「離」をよく見れば、左上に「メ」の文字が格納されています。
それは、新しいステップへの「芽生え」なのかも知れません。それに、そこの上蓋には、ちゃんとツマミが付いていて、容易に開ける事もできそうです。

ただし、そこから取り出した「メ」の文字を、次への「希望」の第一筆と捉えるか、あるいは「〆」(締め) と読むかは、いずれにしても本人しだいです...。

(文:http://www.eonet.ne.jp/~sekikoumuten/columnsyuhari.html



守破離、守ること、教わることですね。
教わることって簡単そうですが、まずはこの教わることがとっても難しいと思います。
何かを始めたとき、始めるとき、習うとき、また仕事が決まったときなど、ちゃんと教われますか。
すぐに文句を言いませんか。
教えていただき、ありがたいって思えますか。
石の上にも3年、黙って続けられますか。

教わること、そして続けること。
とっても難しいですね。
先ずはここから。
私は一生「守」かな。

頑張らねば!

(写真:妙心寺・春光院)