うるし8  うるし美術工芸の歴史Ⅱ

 

 

うるし8  うるし美術工芸の歴史Ⅱ


今日はうるしの歴史Ⅱです。

第Ⅱ期は、鎌倉時代から江戸時代、現代へ。

鎌倉、江戸時代、この時代は技術的にも様式的にもほとんど変化がありません。

 

 

和の心 2014061202 刀鍔

 

 



この時代は日本社会が大きく変化していった時代で、そのたび戦争が引き起こされていた時代なので、こうした分野のめざましい技術的工芸的発展が望めなかったのは当たり前かもしれません。
ただ、鎌倉時代にうるしの基本的な技法が完成します。

工芸的には、鎌倉時代はよろい兜にうるしを塗るようになります。
よろい兜にうるしを塗るメリットは、刀の刃がすべらないことです。
刀の殺傷力を弱める効果にうるしが使われたということになります。

室町時代に入ると、さらに複雑にしたり誇張したりといった、技術のための技術を競い合う時代に入ります。

桃山時代になると、さまざまな新しい技術が興隆するなかで、焼き物、つまり陶器をつくる技術が盛んになり、その結果、漆器が衰退してきます。
桃山陶器という呼び方をしますが、桃山時代は、日本独自の焼き物の黎明期でした。
中国大陸や朝鮮半島から伝わってきた焼き物の技術が、桃山時代に入って、志野焼、織部焼などの日本陶器になっていきました。
こうして桃山陶器がたくさんつくられるようになり、漆器は少しずつ生活用品の舞台から衰退していきます。

江戸時代に入り、太平の世になりますと、さらに技巧に工夫が凝らされ洗練されていきます。
たとえば、刀はもう人を切るための道具ではなく、ほとんどファッションや工芸品となっており、鍔に美しい技巧を凝らしてうるしを塗ったりするようになりました。

また、身分の高い武士が印籠の工芸性にこだわるようになったり、女性の簪(かんざし)や、数珠にうるしが塗られたり、さまざまな工芸品がつくられました。

このように、うるしは高価で贅沢な品物に使われる技術となっていきます。
もちろん、こうした背景には、江戸時代における、各地の活性化のための産業奨励政策があったのは言うまでもありません。

幕末から昭和にかけてというのは、輸出のための漆器です。

明治時代の終わり頃から大正時代、うるしは輸出品の重要品目になります。
東洋趣味が流行していた欧米向けに、漆器が大量に作られました。
そのためうるし職人の生活にゆとりができ、さらに良いものをつくろうということで芸術的なものが生まれてきます。
そして、名工と呼ばれる人々が活躍するようになります。

さらに、大正の終わりごろから昭和、戦後にかけて、うるし工芸の作家が誕生します。
これは、皇室が海外の国賓に漆器をお土産としてさしあげるようになったことがひとつの契機となって、うるし作品の製作を作家に委嘱するようになったのと軌を一つにしています。

こうして、うるし工芸品の現代化が加速していきます。
しかし皮肉なことに、このころから、うるし工芸はますます庶民の生活から遠のいていくことになりました。

そうですよね、今、うるし作品てとっても高価なものと思いますよね。
もっともっと多くの人に広がるにはどうしたらいいのだろう・・・