「釜の六音」 聞いたことありますか?

 

 

「釜の六音」 ご存知ですか。

 

先日のお茶のお稽古で、「釜の六音」ということを教わりました。

釜の水が煮えてくるにしたがって音が変わってくるそうです。

 

 

和の心 20140728 六音 釜

 

 

お茶を入れるのに最適な温度の音は「松風(しょうふう)」。

どんな音がしてるのでしょうね。

とっても興味があり、調べてると下記の文面がありましたので、みなさまにも!

 

 

「釜の六音」

 

釜の煮えがつく音。

なにげなしに言いますが、この「煮えがつく」なんていうのも、普通では耳慣れない表現かもしれません。

鉄の釜が煮えるにつれ鳴る音、茶室でしか聞かれない音です。

昔なら多分、長火鉢に置かれた鉄瓶がチンチンと沸く、とか囲炉裏にかけた鍋が音を立てて煮えている、といったような光景も日常茶飯事だったでしょうけれど・・・・・・。

ピーピーケトルや、沸くと歌いだすポットとはちょっと違いますね。


茶室の朝。

炭を置き、水を張った釜をかけ、火が熾り、やがて湯が沸きだします。

この湯の沸く経過を段階的に捉えたのが、「釜の六音」です。

構造的には、釜底内部に漆で貼り付けられた数個の鉄片、鳴鉄(なりがね)によって、音の高低が決まったりします。

魚眼(ぎょがん)、蚯音(きゅういん)、岸波(がんぱ)、遠浪(えんろう)、松風(まつかぜ)、無音(むおん)。(流派によって呼び方は違うみたいです)

または魚眼、蟹眼、雀舌、小濤、大濤、無声。

 

一、魚眼、魚の目玉のごとく小さい泡が連続して興るさま。

二、蚯音はみみずの鳴く声とのこと。そんな声、聞いたことありますか!?「銅鐺(てつなべ)、火を得て蚯蚓叫

   (きゅういんさけぶ)」という漢詩があるそうです。

   作者は蘇東坡の弟、蘇轍。キュ~ッ、という声かな、と想像しますが・・・・・・。いかがなものでしょう。

三、岸波は岸に寄せる波の音かと思います。

四、遠波は遠い波の音。

五、松風。佳境です。

   お茶を差し上げる亭主と、招かれた客とが相応して、釜の煮える音に耳を澄ます瞬間。

   浜辺の松林を吹き抜ける潮風の音にたとえられた、この釜の鳴り音が無言の茶室に響くのを聞きながら、

   おごそかに一碗の茶が練られます。

   この場面に限っていうなら、炉よりも風炉のほうがドラマ性があるかもしれません。風炉の濃茶は練り始める

   前に、たぎった釜に水を注し、その煮えをいなすという所作があります。

   柄杓の水一勺で、よどみなく続いていた松風の音がふいに途切れる刹那。裂帛の気合、と呼びたいその一瞬の

   間ののち、ふたたびよみがえった松風の音とともに茶筅の振られる音。

   固唾をのむ客の前に、練りあがった茶が差し出されます。時間と空間を、一点にひきしぼって集約させる、

   この場面は茶席における最高のパフォーマンスの瞬間なのでは、とかねがね思っております。

   ・・・・・・炉の濃茶で最初に釜に水を注すのは、お茶を客に供し、服加減を確かめ、さらにお茶銘等々を

   尋ねる会話がかわされたのちのことで、おなじく松風の音が途切れるにしても、そこにはある種のゆとりが

   あるように思います。

   茶席に響く音が変わることで、空気もゆったりとするような・・・・・・。

 

松風の音の切れ間は、暑い夏の茶室には削がれるような緊張感を、寒い冬の茶室には包み込むような包容力を、それぞれ感じさせるような効果をねらって、演出されたものであるのかもしれません。

 

 

和の心 20140728 にぎり石

 

 

 

さて、最後の無音。これ、学生の頃、ふたとおりの説があると習いました。

   ひとつは、温度が上がり、松風の音が極まると、釜はゥワーン、というような変化のない鳴り音になり、

   それがあたかも無音であるかのような錯覚を起こす、つまり単調になる、ということでしょうか。

   もうひとつは火の落ちていくにつれ、釜も鳴りを静め、茶室に沈黙が訪れていくことからそう名づけられた。

   大老、井伊直弼は、茶人井伊宗観としても知られていますが、その著書「茶湯一会集」において、

   おなじみの「一期一会」とともに、「独座観念」の境地が語られています。

   この会を一生に一度の出会いと思い、心を尽くし、客の帰った後もひとり炉の前に座して時を過ごす―。

   原文を引きます。「此の時寂莫として、うち語らふものとては、釜一口のみにして、ほかに物なし、

   誠に自得せざればいたりがたき境界なり」余情残心、をあらわす一文として名高いのですが、このとき宗観が

   向かい合っていた釜こそ、無音、という状態でありながらなお、茶人の万感の思いを受け止めてその鳴りを

   茶室に響かせていたのではないか、・・・・・・などと想像しております。

 

(文:茶道環会:http://blog.zaq.ne.jp/tamakikai/article/122/)

 

 

本当に日本人の感性って美しいですね。

釜の音色一つにここまでの名がつき、それぞれに思いが込められてる。

今日一日でいいから、耳に届く音を感じてみてはいかがでしょうか。

ん、聞こえてくるのは蝉の声だけ・・・それも、良しですね。