第二回  目から鱗の漢字の世界

「道」という字になぜ
「首」が使われているんだろう

第2回  目から鱗の漢字の世界



「道」という字になぜ「首」が使われているんだろう。
習いたての頃はまったく気にもしなかったことが、後年気になり、気になり出すと知りたくなります。 
でも、浅学だったのか、知るすべがなかったのです。
ところが白川静先生がとても明確に「道」の文字の成り立ちを解説しておられました。
「道」という文字は「辶」に「首」を加えた組合せで成り立っています。
なぜ「辶」に「首」を組み合わせて「道」になったのか。その解説が驚きます。
以下、「常用字解ー白川静」から抜粋します。

道金文
『会意 辵(ちゃく)とを組み合わせた形。辵(辶・⻌)には歩く、行くの意味がある。

金文には、さらに又(ゆう 手の形)を加えた字形(金文2)があり、首を手に持って行くの意味となる。
この首と辵と又(寸も手の意味)とを組み合わせた字は導である。古い時代には、他の氏族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられていたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を祓い清めて進んだ。
その祓い清めて進むことを導(みちびく)といい、祓い清められたところを道といい、「みち」の意味に用いる。
把手(とって)のついている大きな針(余)を呪具として使い、この針を土中に刺して地下にひそむ悪霊を祓い清めることを除といい、そのようにして祓い清められた道を途という。

のちには道理(物事の当然のすじみち)のように用い、わが国であは芸ごとの専門分野の意味に用いて、華道・茶道のようにいう。「いう」の意味にも用いる』

導金文
 という解説です。
 う~ん、なんという解説なんでしょう。
 「道」の成り立ちがわかると「導」もわかり、ついでに華道や茶道になんで「道」が使われているのかもわかります。武道もそうですね。神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんが武道の話で、「武道も華道も茶道も『道』とついているのは始まりも終わりもないからなんだ。常に途中だから」という意味の文章を書いておられたけど、「道」と「途」が同じ意味だとわかると、日本の「何々道」というものの深みがつたわってくるように思います。 

首金文
ちなみに「首」という字の成り立ちも白川説ではこういうことです。
 『象形 頭の髪の毛と目とをしるした、首の形。目は 顔面を表現し、その上に頭髪をつけている。首を逆さまに懸けている形は県(かける)である。異族の者の首を携えて、その呪力(呪いの力)によって邪霊を祓い清めて~(以下導と道の解説が続きます)。
 首は人体の中でもとくに大切な部分であるから、中心となる人(「おさ、かしら」)やものの意味となり、首長(団体の長)・首領(かしら)・ 首都(国の中央政府のある都市)のようにいう。また首は人体の最上部のところにあるから、首位(第一の地位)・首唱(まっさきに言い出すこと)・首尾(頭と尾。また、初めと終わり)のように「第一。はじめ」の意味に用いる』 

 「口」の成り立ちの解説でもそうですが、 漢字が成立した頃は、地下には悪霊が潜み、夜には邪霊がうようよしていると信じられていた時代です。漢字が成立したその当時の人々がどのような心的世界で生活していたかを想像させます。
「言霊」というコトバがありますが、白川静先生の解説を読むと、漢字にはまさに「言霊」が宿っていると思わせます。