「和の変」  うさぎ追いしかの山

「和の変」

 

 




じつは、日本の風景や習俗、歌謡、言葉・・・などには
「変なこと」や「変化したこと」がけっこうあります。
私たちが目にしたり聴いたりしているモノやコトのなかにある、
ふだんは気づかない「日本の変」をテーマにせまります。

 

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  うさぎ追いしかの山                (黒岩 直樹 記)
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 うさぎ追いしかの山    こぶな釣りしかの川
    夢は今もめぐりて     忘れがたきふるさと

 

ふるさとの風景を思い出してくださいといわれたら、日本人の多くが思い浮かべるであろう田舎の風景。

もし第二国歌が認められるのなら、私はこの文部省唱歌「ふるさと」(詞:高野辰之)を強く推薦します。

生まれ育った家があり、田や畑がひろがり、裏山にはあかるい雑木林があり、林を歩いていると突然うさぎが藪から跳びだしては急ぎ足で逃げてゆく。

小川におりれば小魚の影がきらきらと・・・。

 

和の素敵 雑木林

雑木林の小径  大和郡山市内

 

 平成のこんにちでもこの農村風景にあまり変わりはありません。

しかし、よくよく見ると大きくふたつの点で変わっています。

まず、うさぎやこざかなを追いかけるこどもの姿が見あたらない。

たまに人影を見かけてもお年寄りばかり。

65歳以上の高齢者が半数を超え、共同体を維持できなくなった村を限界集落などと悲しい呼びかたをするのですが、すでに過疎を経て限界に達し、まもなく消滅してゆく運命なのでしょう。

つぎに裏の山が真黒な森になりました。

なんだかおそろしくて足を踏み入れられない。

こどもたちや犬の遊ぶ姿が見え隠れし、その歓声が里の庭先にまで届いていたあのあかるい山はどうなってしまったのでしょう。

昭和39年10月10日、雲ひとつない紺碧の宙にF86ブルーインパルスが五色の環を描きました。

国中に感動を呼びおこしたあの2週間の始まりです。

 

この東京オリンピックのころ、日本は戦後の高度成長期を迎え、生活のスタイルが一新しました。

食事は家で材料から調理するのが普通だったのですが、お湯をかけたり湯せんをすればすぐ食べられるインスタントなものが出回ってきました。

さすがに電子レンジはまだありません。

家で浴衣姿でくつろぐ父や、日がなはたらく割烹着の母の姿が、じょじょに洋服になっていきます。

なによりも煮炊きや暖房の燃料が一変しました。昭和30年代燃料革命といわれる一大変貌です。

それまで家庭での燃料といえば薪や炭でした。

ごはんは薪をくべたかまどで炊き、魚は炭火で焼き、鍋は薪を使った囲炉裏で煮炊きしました。

フライパンで炒めるということはほとんどしません。

町家ではさすがに囲炉裏こそありませんが、庭先で七輪を使う風景は普通にみられました。

町での煮炊きにはすでにガス(都市ガスやプロパン)を使っていました。

ただ、暖をとるのはまだ炭だけでした。

里でも団欒をおえた囲炉裏の火は消され、炭がいこった火鉢が各部屋で活躍しました。

燃料革命でこの生活様式が一変しました。

調理用に里にもプロパンガスがいきわたり、暖房用では灯油やガス、電気が普及しました。

裏山(里山ともいいます)から柴を刈ったり、炭をつくる材を伐りだす必要がなくなりました。

ついでにいえば、このころから化学肥料が普及して、従来田畑にいれていた落ち葉を里山から搔き出す必要もなくなりました。

 

和の素敵 雑木林2

里山の入り口 右に竹、左にアラカシ、
奥に杉の巨木が迎えてくれる  大和郡山市矢田丘陵

 

 

もう、里人は里山にはいっていく用事がありません。

山に多く生えるコナラやクヌギは薪炭材に適しており、秋に大量に落とされるその葉は田畑を肥やしました。

おとなの腕ほどの太さに育った幹は伐られ、切り株からは細い幹が何本も芽生え(萌芽更新)、株立ち状に育った木は20年ほどでまた伐られます。

細い株立ち状の木がまばらに立っているあかるいこの林は雑木林とよばれ、薪や炭となって人間の生活を支えていました。

 

・・・見方をかえてみましょう。

かれらからすれば、人間を支えていたのではなく、人間から略奪されていたのです。

落ち葉が収奪されることにより、成長に必要な養分が蓄積されず、つねに栄養失調状態でした。

ほかの木には苛酷なやせた尾根筋には、アカマツのみがなんとか耐えて立っていました。

土がはだかでむきだしなので、ほかの菌はもはや生きてゆけず、アカマツの根元にはかろうじてマツタケという菌のみが無数に生じていたものです。

いま、里山にマツタケは生えません。

落ち葉は年々蓄積され、ミミズやトビムシやいろんなバクテリアが土壌を豊かにし、コナラやクヌギはしあわせにも人がかかえきれないほどの大木に育ち、それらに生じるドングリはリスやネズミを養います。

さらに遷移は進んでカシなどの常緑樹が優勢になってきました。

江戸時代以来ながく人間に収奪されてきた里山は、自然本来の姿に帰ろうとしています。

生物多様性たっぷりです。

それはもうわたしたちの心の原風景にある雑木「林」ではなく、「森」なのです。ひとは真黒な森を怖れます。

奥山と里との緩衝地帯として人間を守ってきた里山は原始の森に戻り始めています。

今年も来年もこの先ずっと、里や町にイノシシやクマが出没するでしょう。わたしたちの裏山はすでにかれらのテリトリーなのです。

おそろしいことに、奥山にわたしたちが植えっぱなしにしてあるスギやヒノキの森よりはごちそうがいっぱいなのです。

奥山の問題についてはまた書くことにします。

 

この里山をどうすればよいか、本当にむずかしい問題ですが、里山だった場所をうろつきながらこれからも考えて生きます。

あなたもどうすればよいか、考えてみてください。

 

  里わの火影も森の色も  田中の小路をたどる人も
     蛙のなくねも かねの音も  さながら霞める朧月夜            (文部省唱歌 詞:高野辰之)