「和の変」  お山の杉の子 その1

「和の変」

 

 




じつは、日本の風景や習俗、歌謡、言葉・・・などには
「変なこと」や「変化したこと」がけっこうあります。
私たちが目にしたり聴いたりしているモノやコトのなかにある、
ふだんは気づかない「日本の変」をテーマにせまります。

 

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   お山の杉の子 その1            (黒岩 直樹 記)
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 「うさぎ追いしかの山」では里山の変貌について書きました。
今回は奥山について書くつもりですが、スギやタケの話になりそうなので、奥山に限ったものとはなりません。
「山」すなわち日本では「森」そのものの話になります。
ちなみに里山とか奥山とかいう概念は学問的なものではなく、里が収奪できる範囲を里山、日帰りで柴刈りに行けないほど遠くの山を奥山と私は勝手に規定しています。 

  さて、こんな常識をどう考えますか?
『日本は昔から緑豊かな国土であったが、近代国家が成立して以来、山の緑がどんどん減少している。
その原因は、工場や住宅地、ゴルフ場の建設などの自然破壊である。
また、山の木は二酸化炭素を吸収して酸素を排出し、環境保持に貢献している。
樹木を伐採することは、二酸化炭素の増加すなわち地球温暖化につながる環境破壊である。
割箸の使用は森林破壊なので禁止すべきである。』

なんの反論もできない堂々たる正論のようですが・・・

 昭和の後半の市街地の状景です。

商店街が繁盛しています。
さかな屋や八百屋の、見せ棚が店奥から道にまではみだしている店舗風景にくらべ、パン屋さんや洋装品店、パーマ屋さんの入口はずいぶんと洒落たものになりました。
商品を陳列したガラスのウィンドウ、入口の軒に高々とかけられた大きな看板、壁に貼られた料金表、カラフルな日よけスクリーン。
まるでスペインやイタリアあたりのお店のようです。
それは商店街に面した入口壁面がモルタル壁にされたからです。
しかし、四角いコンクリートのような壁をひきはがすと、そこにあらわれるのは昔ながらの瓦屋根と板塀でできた、隣の豆腐屋さんや酒屋さんとひとつ長屋を構成する純粋日本家屋だったのです。
看板がとりつけられた異様に高いモルタルの壁は、恥ずかしい屋根や壁を隠すためのものだった。
 庶民が住む日本の家屋にはコンクリート製などありません。
それらしく見えてもじつはすべて木製でした。
柱や梁などの構造部分には硬い広葉樹やマツ材が用いられ、壁にはおもにスギを使った羽目板が打ちつけられていました。
平成の住宅は木の壁でなく、西洋風のコンクリ風やレンガ風の壁でできていますが、あれとても基本は木造で、板壁や構造材の外側に新素材の薄い外壁をペタンと貼り付けただけのものです。
どうも現代日本人はわらや板の壁ではなく、3番目の兄弟ブタの嗜好を持ち合わせているようです。
 スギはやわらかくてひびや狂いが生じやすいので構造材には不向きです。
スギの柱の家になどできれば住みたくない。
しかし大量に生産できるために、羽目板にはもってこいの材でした。
だからこのスギの羽目板に点火さえすれば日本の都市はあっというまに燃え上がります。
 兵器廠のような軍事施設を破壊するのならば、火薬の爆発力を用いる爆弾が適していますが、これで日本の家屋を破壊するのはいかにも火薬がもったいない。
ガソリンとマッチで壁に点火さえすればどんどん延焼して、東京でも大阪でも灰の山にできます。
ただ兵隊を町に派遣して放火して回るわけにはいかない。
そこで優秀な米軍が考案したのが焼夷弾でした。M69と名づけられたこの新型爆弾は燃料と発火材を組み込んだもので、いわばバーベキューで使う着火剤と自動車に取り付けられている発炎筒がセットになったようなものです。
これをB29が上空からバラバラと落とすだけで、防空頭巾でのバケツリレーむなしく日本家屋は灰燼に帰し、防空壕に逃げ込めなかった日本人は焼死しました。
30万人以上の非戦闘員(おかあちゃんや幼児、年寄り)が殺されました。
(焼夷弾は米軍考案ですが、かれらが「ショーイダン」といったわけではない。
日本語です。
英語はFIREBOMB。
「夷」とは中華から見た日本などを指すエビスではなく、「殺し尽くす」の意味で「焼き尽くす爆弾」の意味。
レンガやコンクリの施設のように爆破する必要がなかった。)
 ――敗戦。
さいわい日本人は皆殺しにはされませんでしたが、一面の焼け野原に住む家がない。
外地(満州・朝鮮・台湾)からは引揚げ者が帰ってくる。
戦地からは復員兵が戻ってくる。
この辺の状景は、焼け跡・闇市派といわれた世代でないと語る資格はないでしょう。
行政は機能しない、重機はない、ボランティアも来てくれない、おまけにきのうまで同胞だったはずの在日の朝鮮人や台湾人が「われらは日本人ではない」と戦勝国民気取りで無法の限りを尽くす。
ついにかれらは「敗戦国民ではないが、決して戦勝国民でもない」として「第三国人」という名称を付与されたものです。

 

   むかしむかし そのむかし 
   小さなお山が あったとさ あったとさ 
   丸々坊主の禿山は いつでもみんなの 笑いもの 
   これこれ杉の子 起きなさい
   お日さまニコニコ 声かけた 声かけた
   (お山の杉の子 作詞:吉田テフ子)

 

都市を戦後復興させるためにはまず家屋の建設からです。

いつまでも焼け残りの廃材とトタンのバラックに住めるわけがない。
日本住宅の復興ですから、鉄でもコンクリでもレンガでもなく、まず必要なのは木材です。
木は山に生えている。
それっと近郊の山に目をやると、なんとそこには見渡す限りのはげ山がたたずむばかりでした。(はげ、いいんですかね?)
 じつは今でこそ山には木が生い茂っていますが、日本の山は江戸時代以来(特別に保護した場合をのぞき)ずっとはげ山だったのです。
昭和30年代に燃料革命がおこったことはすでに述べました(「うさぎ追いしかの山」)。
それまでの日本列島居住民は、森に完全依存して生き延びてきました。
製塩・製鉄・窯業用のほか生活必需品としての炭や薪・柴などの燃料はいうにおよばず、建材も道具も肥料も食材の一部までも森林からの収奪でやりくりしてきました。
灌漑技術がすすんで耕地が増えると人口も増えます。
木がないと生きていけないので伐りまくった結果、とうとうはげ山になっていたのです。
よほどの深山には生えていますが、伐り出すすべがない。
戦後、「それ、家だ!」と山をみても木が生えていないのは当然だったのです。
米軍に焼かれたんだと勘違いした方はいませんか?ただの山を焼き払うほどルーズベルトやトルーマンはお馬鹿じゃない。
かれらは開発した2種類の原子爆弾を、ソ連にみせつけるためにジャパンのどの都市に落としてやろうかと考慮中だった。
 木がないのなら植えるしかない。
農林省林野庁は植林を奨励します。
養殖ではないので、数年後に収穫とはなりませんが、焼け野原をみてとにかく植えるしかないと考えたのでしょう。
本来構造材なら広葉樹を植えるべきですが、シイやカシ、クリやケヤキは成長に時間がかかるし、枝が横に広がります。
スギは「スクスク、マッスグ」が語源とされるほど成長が早くかつ直立するので、枝打ちをすれば単位面積あたりの収量が大きい。
ヒノキも同様です。しかもスギ・ヒノキの針葉樹を植えればお国が奨励金まで出すというのですから、山持ちはたまりません。
苗不足で不良な苗であろうが、将来絶対に伐採できないような斜面地であろうが、目先の金目当てにスギの苗を植えまくりました。
国土面積の三分の二が森林(世界一!!)、人工林がそのうち4割をしめる「森の国日本」はかくしてできあがったのです。
(次回 お山の杉の子 その2へ続く)