文化と文明。

 

 

先日、素敵な方のお話で、

「文化と文明、これからは何よりも文化が大切。」

文化と文明、違いが分かりますか?

 

 

和の心 20140827 大仏さん

 

 

私の大好きな司馬遼太郎さんのお力を借りて説明を。

「アメリカ素描」より。

 

人間は群れてしか生存できない。

その集団を支えているものが、文明とと文化である。

いずれも暮らしを秩序づけ、かつ安らげている。

ここで、定義を設けておきたい。

文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。

つまりは普遍的でない。

例えば青信号で人や車は進み、赤で停止する。

この取り決めは世界に及ぼしうるし、げんに及んでもいる。

普遍的という意味で言えば交通信号は文明である。

逆に文化とは、日本でいうと、婦人がふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。

立ってあけてもいいという合理主義はここでは成立しえない。

不合理さこそ文化の発光物質なのである。

同時に文化であるがために美しく感じられ、その美しさが来客に秩序についての安堵感をもたらす。

ただし、スリランカの住宅にもちこむわけにはいかない。

だからこそ文化であるといえる。

(中略)

…以上の事からいうと、日本などは精神の安らぎのための不合理な習慣でつまっている。

年末だけでも年賀状を書き、お歳暮を送り、忘年会で飲み、紅白歌合戦を見、年越しそばをすすり、除夜の鐘をきき、気の早い人はそのまま初詣に出かける。

そういう文化の蓄積とその共有が、自然とクニの形をとったのが、地上のほとんどの国の場合である。

日本の場合、そのアンコという文化の上に、マンジュウの皮のように文明という法秩序がある。

 

 

さすが、司馬遼太郎さん。

 

和の心 20140827 和室

 

 

 

最後の、「日本の場合、そのアンコという文化の上に、マンジュウの皮のように文明という法秩序がある。」がすべてですね。

でも、このぶあつくまるいアンコが、今の時代薄っぺらく、中身の少ない、いや、中身のないマンジュウになってきてるのではないでしょうか。

アンコガないマンジュウなんて、価値が一つもないです。

何十年、何百年と続いてきた文化を今一度私たちが大事にしないといけないですね。

 

ん、何が文化かって。

だから不合理であって美しいもの。

探してみてください。
周りにいっぱいありますよ。

 

いや、今、周りにないか。

だから、和の素敵が必要なんだ!