和の心 20140923 重森志賀さn

新内節って?

 

先日、和の素敵で行われた新内節。

新内志賀さんが叙情的に哀調を帯びた語り口で聞かせてくださいました。

すてき!でした。

 

さて、新内節ってご存知ですか。

 

和の心 20140923 豊後節3

 

新内=江戸浄瑠璃は浄瑠璃の一派であり初代鶴賀若狭掾を始祖に1760年頃生まれました。

一中節の始祖・都一中(みやこいっちゅう)の門人である都半中は、1730年頃に京都から江戸へ 出て宮古路豊後と改名(後に豊後掾)してして豊後節を創りました。

官能的で頽廃的な曲調は江戸市民に一大ブームを巻き起こし大流行となります。

しかしその頃江戸にて心中が流行しており、その原因が豊後節の流行と結びつけられ、また風紀上の理由と 他の幾つかの理由とを付けられて、豊後節を語ることを禁じられました。

その上稽古する事も名前を使う事もすべて禁止という弾圧を受けたてしまいます。

そのために宮古路豊後掾は京都へ戻り芸を捨てたといいます。

しかし江戸に居る門人たちは困ってしまいます。

芸も出来ず生活もできない。

そこで門人は宮古路や豊後の名を捨てて名前を変えて新しい歌詞と曲を創り始めます。

その中の一人が常磐津節・富本節・清元節そして新内節を創設。

これを江戸浄瑠璃4派と呼びます。

 

 和の心 20140923 豊後節2

 

親を同じに生まれた4派でありますが、それぞれが新作を創り独自の道を歩み始めます。

常磐津・清元は主に歌舞伎や舞踊の伴奏音楽となり発展をします。

新内は他の芸能とは提携せず素浄瑠璃の形態で今日まで続いて来ました。

新内の始祖である初代鶴賀若狭掾は、他の豊後節系浄瑠璃とは違い江戸三座には出演せず、座敷浄瑠璃、素浄瑠璃(すじょうるり)として他の芸能とは提携せずに発展し、多くの作品を残します。

その若狭掾門下から盲目の鶴賀新内が現れました。

彼の鼻に抜ける美声の新内に人気を得て大当たり。

そのためいつの間にか鶴賀節が新内節と言われるようになりました。

他の豊後系の諸流とは別の芸風を生み、素語りの自由な語り物としてもっぱら遊里を中心に定着し、いっそう官能的、情緒的な語り口となり、庶民から愛される身近な音楽となります。

今日に伝わる新内はさらに洗練されて高低の旋律が変化に富み、そして語り口は嫋嫋(じょうじょう)として哀調切々と繊細にまた大胆に聞く人の心に訴えます。

このような物悲しい雰囲気をもつ新内は心中の美学といわれ、心中を美しく謳いあげているとも云われています。

また新内の三味線は他の流派にはない特有の美しさを奏でます。

本手と上調子の二挺の三味線が織り成す美しく繊細で優雅で微妙な音色は切々と心に響きます。

 

和の心 20140923 新内志賀さん5

 

新内と言えば新内流しをイメージする人が多いですね。

粋な着流しに男は吉原冠り(よしわらかむり)、女は吹き流しの手拭いで三味線を弾きながら廓や花街を流して歩く。

客の求めに応じて屋外から、ときには座敷に招かれて演奏します。

30年前まで吉原、深川、柳橋、浅草、神楽坂等で見受けられましたが、今は全く見る事がなくなった江戸情緒あふれる風物詩です。

 

まだまだ知らない、伝統芸能がいっぱい。

新内節も、先日ご縁を頂けなければ聞くことはなかったでしょうね。

一度でいいから、お座敷に招いて聞きたいです。

もちろん、一献しながら!