シュリーマン旅行記 清国・日本  ハインリッヒ・シュリーマン

 和の素敵 シュリーマン旅行記

シュリーマン旅行記 清国・日本
ハインリッヒ・シュリーマン

あのシェリーマンが幕末の日本を訪れていた! 混乱の幕末の姿が考古学者の客観的な目で観察され、リアルに描かれた貴重な滞在記。

あのシュリーマンが江戸末期の日本に来て、その滞在記を書いた本!とビックリしたし、読んでみるとさすがに考古学者だけあって、とても冷静な観察がおもしろくて、すぐBlogにも書きました。書いたけど、今も変わっていない日本や日本人のことを知るには貴重な資料だと思うので、リライトして掲載します。

ハインリッヒ・シュリーマンといえば、有名なギリシャのトロイ遺跡を発掘した歴史的な人物です。幼い頃にトロイ戦争が描かれているホメルスの叙事詩「イーリアス」に感動したシュリーマンは、神話だと誰もが思っているトロイの遺跡は実在すると信じ、座位を築いた後年に発掘しました。ちなみにトロイの遺跡は実在していましたが、「トロイの木馬」で有名なトロイ戦争は神話です。そのトロイア遺跡発掘の6年前、世界一周旅行の途中、清国と日本に立ち寄りました。そのときの見聞記が「シュリーマン旅行記清国・日本」(石井和子訳、講談社学術文庫)です。

1865年の夏の1ヶ月の間だけ横浜・八王子・江戸に滞在し、江戸ではアメリカ公使館宿館である麻布善福寺を拠点に江戸の町を散策しています。 考古学者であり探検家らしく精力的に江戸並びに江戸周辺を見て廻り、当時の様子をかなり詳細に書いています。

 たとえばある1日、シュリーマンは王子に出向き、予約していた扇屋と思しき料理屋で昼食をとります。そのメニューは、ご飯・刺身・煮魚・大海老・海藻類・筍・固茹卵で、冷たいお酒もでた。その料金は6分(15フラン)であったという風に。 この「王子の扇屋」というのは落語の「王子の狐」に出てくる「扇屋」ではないかと、ちょっと想像しました。

横浜では、将軍家茂が京都に上るときの大行列を見ています。非常に仰々しい行列の観察もかなり詳細で、学校で習う歴史では知ることができない当時の様子が鮮明に伝わってきます。

また、時は尊王攘夷運動の真最中。4年前にはアメリカ公使館のヒュースケンが刺客に襲われ惨殺されていたような、いつ刺客に襲われてもおかしくない時期でした。そんな緊迫感も伝わってきます。

特徴的なのは、日本をかなり好意的に評価しているのに比べて、中国についてはかなり毒舌的に評価していることです。

当時の日本は、幕末の混乱期ではあったけど、260年続いた江戸時代の秩序の中にいました。中国は欧米列強の侵略を受け、清朝政府は腐敗し、国民はアヘンに犯され堕落していた時期です。この違いが評価にも現れていると思います。

シュリーマンが見た日本の印象はどうであったのだろうか。そのいくつかをあげてみます。

「~ところが日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであることに気がついた。寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要でないし、それらが便利だと思うのは慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それらぬきでもじゅうぶんやっていけるのだとわかったのである。もし、正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござ(注:畳のこと)を用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう」

「田園はいたるところさわかな風景が広がっていた。高い丘の頂からの眺めはよりいっそう素晴らしいものだった」

「ここでは君主がすべてであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」etc.

シュリーマンは日本が封建社会であることを認め、それがうまく機能している様子を書いています。ここに書かれている「安全で清潔な日本」「まれにみる平和な国、日本」「識字率が高く、庶民も文化的な生活をしている」などは、現在も世界が評価する日本の素晴らしさと変わらないものを感じました。

歴史的な旅行記としてだけではなく、現在にも通じる日本、日本人の良さを知るにはたいへんおもしろく読める一冊です。