本歌取りー1 パクリではない、では、ヒップホップやR&Bでいうサンプリングなのか。

 本歌取り

和の素毎毎月おこなっている「お茶会を百倍愉しむためのお稽古」の最終回でした。

いつもその月にふさわしいお軸を持ってきてくれるのですが、このときは短歌が書かれたお軸でした。その歌は後半が「本歌取り」した句が入っていて、ほんとうは本歌を知らないと愉しめないのですが、でも、おもしろい歌になっていました。

 

本歌取りは日本独自の伝統的な表現、発想方法だと教わりましたが、

もしかして、元歌を使うという点ではJ-POPやR&Bで使う作曲法のサンプリングと似ているような、でも違うんじゃないかなと思い、

検証してみようと思いました。

検証する対象は、音楽や映画などでです。

この回では、まず本歌取りって何だと言うことから1回目をはじめます。

 

「本歌取り」とは、歌学における和歌の作成技法の1 つで、有名な古歌(本歌)の

1 句もしくは2 句を自作に取り入れて作歌を行う方法です。主に本歌を背景に用いる

ことで表現効果の重層化を図るワザです。

たぶん、高校の国語の授業でも習ったと思いますが、

有名なのは古今和歌集の撰者のひとり、紀貫之のこの歌でしょう。

三輪山に 鹿も隠すか春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ」

これは万葉集にある額田王のこの歌を本歌取りしたもです。

三輪山に 鹿も隠すか雲だにも 心あらなも かくさふべしや」

赤字にしたフレーズと、額田王が詠んだ歌の背景を「本歌取り」して、

まったく違う意味とおもむきを醸し出す歌にしています。

 

私見ですが、紀貫之の歌は後半に「春霞」「花や咲くらむ」ともってきて、歌自体に色を感じさせます。たぶん「花」とは好きな女性のことなのでしょう。そう受け取ると、大蛇になって人間の女を娶ったという大物主の三輪山伝説も浮かんできますね。

まさに、「主に本歌を背景に用いることで表現効果の重層化を」ですね。

 

本歌取りには、元となっている作品へのオマージュが必要ですね。

そこに、オリジナルへの経緯や尊敬を感じます。

そこがパクリと大きく違うところでしょう。

 

ところで、どこまでが本歌取りとして成り立つのでしょうか。

いわゆるパクリとの境界線はどこなのか。

これに明快な答えを藤原定家が出しています。

「花の歌をそのまま花の歌として詠み、月の歌をそのまま月の歌として読むのは、よほどの達人のやることでしょう。春の歌を秋・冬に詠み変え、恋の歌を雑歌や四季歌などにして、しかも本歌はあれだな、とわかるように詠むのがいいのです。~(現代語訳)」

 

と言われると、俄然、本歌取りが身近に感じるでしょう?

「モトネタがわかるように」して、

「モトネタそのままではなく作品のコンセプトを変え、独自のアレンジを加える」

この2つです。

なんか、できそうな気がしてきませんか?

 

日本では本歌取りを作法の技術として確立しましたが、

現代日本、だけではなく、世界でも本歌取りのような作品づくりはおこなわれています。

「ような」とあえて言うのは、ガサっとくくってみれば本歌取りと言っても良いような作品がありますが、

紀貫之の作品に相当する作品や藤原定家の定義にあてはまる作品が少ないからです。

「ような」作品は小説や詩の世界にもありますが、わかりやすいのは音楽の世界です。

次回は音楽でみてみたいと思います。