和の心 20141001 大国主命

神無月 なぜ神様は出雲に集まられるのか。

 

 

スサノオ七世孫として誕生した大国主神は、イザナミの死によって中途半端に終わってしまった国造りを、見事成し遂げた神です。

「大国主神」と、大変立派な名前でありますが、彼は生まれながらにして大国主であったわけではありません。

こう称されるに至ったのは、ひとえに彼の行動力の賜物なのです。

 

彼はその運と努力によって、葦原中国における自らの地位を徐々に高めていきました。

そしてそれに伴って、出世魚のごとく立派な名前へと改名していき、偉大なる大国主への階段を上っていきました。

しかし、大国主神が国造りを成した頃を見計らって、天照大御神は「元々私の子が統治する国なのだから返しなさい!」とおっしゃりました。

こうして大国主神は、素直に国を譲り渡し、自らはその代償として得た出雲大社に隠棲することになりました。


日本書紀では、この日本を国造りされた大国主神は、高天原より降りてこられた皇孫に、この国をお譲りになります。

顕事(あらわにごと)、つまりこの現世の政治は高天原より降りられた皇孫(皇室)に譲り、大神さまは神事(かみごと)を治められることとなりました。

神事は幽世ともいい、人からは目には見えない、耳には聞こえない、神や霊魂の世界のことで、大神さまは神々を率いて、皇孫とこの国をお守りすることになりました。

その目には見えない神々の世界を治められる神だから、ということで、毎年10月になると全国から八百万の神々が出雲にお集まりになって、人々の縁組みについての相談をされる、という縁結び信仰が広まってきました。


10月は神無月といいますが、出雲では神有月といい、日本国中の神様が出雲に集まって会議をされる、という話は有名です。

この話はいつ頃から始まったかというと、現在、確認できる一番古い文献は平安時代末に藤原清輔が書いた歌学書「奥義抄」という、かなり古い時代まで遡ることができます。

ここでは「十月(かみなつき)、天下のもろもろの神、出雲国にゆきて、こと国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」

つまり、十月は「かみなし月」というべきところを「かみなつき」と誤っている、という内容で、すでに平安時代末には10月に神々が出雲に集まるという話、信仰が広まっていたと思われます。

すぐ後の藤原範兼の書いた歌学書「和歌童蒙抄」にも「十月は万の神たち出雲ノ国へおはしますに依て神無月と云う」とはっきり出ています。

さらにこれが室町時代になると、辞書「下学集」に「出雲国には神有月と云うなり」とここで初めて神有月という言葉出てきます。

これ以外にも室町以降になるといろいろな文献等に出てきますので、確実にこの頃には一般大衆の間にも、10月に出雲に神々が集まる、という話が広まっていたようです。

(文:Yahoo知恵袋・takaokakehisaoumi315さんより)

 

和の心 20141001 神無月 出雲大社復元図

 

この話も学べます。

 

会議はなぜ行われるようになったか。

この神様の会議が行われるようになったのは、大国主神は日本国土を開発した神なので、その時、自分の息子や娘を各地に置き、その地の管理者としたことに由来します。

その為、こどもたちは年に1度出雲に戻ってきて、父神である大国主神に1年の報告をし、来年の予定を相互打ち合わせするようになったのです。

後には大国主神系以外の天照系の神様たちも、一緒に出雲に来るようになりました。

 

会議の話題は何か。

大国主神は天照大神に日本の国の支配権を譲った時、代わりに幽界の支配権の保証を得ました。

そのため、物質的な物事については天照大神とその子孫である天皇家が管理しますが、精神的な物事については大国主神とその子孫たちの管轄になっています。

そこでこの会議では一般に全国の人間の運命について話し合い、中でも誰と誰を結婚させるか、などということをこの会議で打ち合わせするといいます。

ですから遠く離れた所に住む二人が知り合って結婚するようなケースは、この会議の結果生まれたカップルなのかも知れません。

そこで出雲大社は縁結びの神様としても信仰されています。

 

和の心 20141001 神無月 注連縄

 

10月5日は、千家国麿さんと高円宮典子さんの挙式。

新たな日本の始まりのような気がしてならないのは、私だけ?

でも、なぜ10月(旧暦)に神さまが集まるのでしょうね?