ルイヴィトンもジャポニスム

 

 

1878年、フランス・パリで、ルイ・ヴィトンにとって運命の出会いともいえるイベントが行われました。

それは――万国博覧会。

世界中の国々、そして5万以上の企業が出展したこの博覧会の中で、最も注目を浴びたパピリオンが実は日本館。

ここでヨーロッパに初めて紹介された、日本庭園や盆栽、版画そして陶磁器の数々…。

 

和の心 20141025 パリ万博

 

初めて目にした日本文化の美しさに、フランス人はもとより、ヨーロッパの人々はすっかり虜になってしまったのです。

もちろんルイや息子のジョルジュ・ヴィトンもその例外ではありませんでした。

こうして始まったのが日本ブーム…いわゆる「ジャポニズム」です。

実はこのジャポニズム、フランス文化に与えた影響は大きく、芝居やバレエはもちろんのこと、当時活躍していた画家ゴッホ、セザンヌ、ルノワール、モネなどはみな浮世絵などの日本文化の影響を強く受けたのです。

一方、この頃日本といえば、近藤勇の死からちょうど10年が経った明治11年。

伊藤博文や大隈重信が新しい日本の確立を目指して活躍していた時代でした。

海の向こうの遠い国では、日本人の知らない間に日本文化が大ブームとなっていたのです。

フランスでジャポニズムがかなりの盛り上がりを見せていた当時、2代目を継いだ、ジョルジュ・ヴィトンは新作を発表します。

それが「モノグラム」。

ルイ・ヴィトンのデザインを代表するといっても過言ではない、このモノグラムは、様々な文化の中でも、特に日本のある文化の影響を強く受けていると言われています。

それは「家紋」です。

 

和の心 20141025 家紋

 

実は、当時ルイ・ヴィトンを悩ませていひとつの問題がありました。

「模倣品」いわゆるニセモノ品の横行です。

ルイ・ヴィトンの活躍を妬む同業者によるニセモノに対して、ルイは次々と新しいデザインを生み出すことで対抗したのです。

そして次に生まれたのが、日本の市松模様の影響を受けたとも言われる「トアル・ダミエ」。

しかし、一向になくならないニセモノに、もっと複雑な柄を描かなければ、ということで生まれたのが、ダミエと同じく、日本文化である家紋の影響を受けたと言われるモノグラムだったのです。

創業者のルイ・ヴィトンのイニシャル、そして花・星を表すこのモノグラム。

実際、ジャポニズムの巻き起こっていたパリではなんと日本の家紋を紹介する本がベストセラーとなっていたという事実もあるのです。

昔はなんと職人によってひとつひとつ描かれていたというモノグラム。

工房にはモノグラムに影響を与えたかもしれない、日本の漆塗りの「櫃」がいまも残されています。

ちなみにこのモノグラムキャンバスを使って初めて作られたソフトバッグがスティーマーバッグと言われています。

いまでも定番商品として人気のこのかばん、当時はスティーマー…蒸気船での旅行中、洗濯物をためておく入れ物として考案されたもので、もち手をドアのノブにかけて使われていました。

自らロゴをデザインし、製品に配する…いまではどのブランドもやっていることですが、これを初めて行ったのがルイ・ヴィトンだったのです。

(文:ニッポンヲシロウ!:http://www.tv-asahi.co.jp/ss/131/japan/top.html)

 

和の心 20141025 モノグラム

 

『ダミエ』は日本の市松模様をヒントにデザインされたそうです。

『モノグラム』は、日本の家紋をモチーフに作られたそうです。

そのなかの丸の中に星がデザインされたマークは、薩摩藩、島津家の家紋にヒントを得たというのです。

 

そういわれれば、ルイ・ヴィトンのデザインにはどこか懐かしさを感じていたな~と思い出されます。

現在、ルイ・ヴィトンの総売上の約3割が日本国内での売上だそうですが、日本人の潜在意識がほのかに香る和風テイストを嗅ぎ付けているのかも知れませんね。