陰翳礼讃(いんえいらいさん)

 

 

谷崎潤一郎が、日本文化は陰影にこそ美を見いだすと論じました。

『新・陰翳礼讃』祥伝社

 

和の心 20141030 陰翳礼さん

 

まだ電球がなかった時代の今日と違った美の感覚です。

「光線を撥(は)ね返すやうな趣」の西洋の紙に対して、「柔らかい初雪の面のやうに、ふつくらと光線を吸ひ取る」。

こうした時代、西洋では可能な限り部屋を明るくし、陰翳を消す事に執着しましたが、日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用する事で陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げました。

それこそが日本古来からの芸術の特徴だと主張しながら。

こうした主張のもと、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装など、多岐にわたって陰翳の考察がなされてきました。

 

確かに、現代に生きるわれわれは暗闇のなかの深さを知りません。

暗さは「暗い」だけで奥がない。

「われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。(中略)われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う」。(本文より)

明るさを得たことによって失った美の領域。

谷崎さんがこれを出版したのが昭和8年(1933年)だから、陰翳の美の領域を失いかけていたその時代からすでに70年程経っていることになります。

建物、部屋、建具、庭、着物、肌、飾り、食べ物、紙、あらゆるものが陰翳のなかで放つ美を書き記したこの本は、われわれがもう体験することのできない欠落した領域を示しているのでしょうね。

 

和の心 20141030 行燈

 

闇や隈のなかでは感触や匂いや音、それらと組み合わさる時間の観念がより際立ってきます。

私たちが京都を訪れて日本古来の美に浸るときも、その美はきっともう昔のそれとは異なっているのかもしれませんね。